業界用語の基礎知識:「満員御礼」と「チケット完売」

質問者:最近の報道やプレスリリースでは「チケット完売」という言葉をよく目にします。ちょっと古めかしい感じがする「満員御礼」という言葉とどう違うのですか?

回答者:

(1) 事情通を気取る人たちは、興行の主催者が大切なお客様をご招待したり、不慮の事故を想定して予備の席を設けていることを大げさに騒ぎ立てることがあります。「満員」と言うけれど、実際には席が空いているじゃないか、というわけです。

しかし、他にも、チケットを買ったけれども、当日はそのお客様が会場にお越しにならない、来られない事情ができることは、残念なことですけれども珍しいことではないようです。(ですから、よほど注目度が高く希少性の高い興行でなければ、何パーセントかの割合で、チケットが売れていても空席ができてしまうのが普通です。)

中途半端に事情を裏読みして、クレームを付ける人たちに応対するためには、「チケット完売」という言い方のほうが、安全だ、という事情がもしかするとあるかもしれません。まだ席がいくつか残っていたとしても、発売を予定していた枚数はすべて売れており、主催者としては、これ以上の対応はできません、という言い方ができるかもしれないからです。

(2) しかしそれ以上に大事なのは、完売と満席それぞれが実現するタイミングです。

「満席・満員」になるかどうかは、実際に興行の幕があくまでわかりません。予約が埋まっていても、当日までには何が起きるかわかりません。「満席・満員」でお集まりくださったお客様に主催者が「御礼」を申し述べたり、伝統演劇などで大入り袋をお客様と関係者に配る習慣があるのは、つつがなく幕を開けることができた幸福、今日もまた、こうしてこの場所に皆で集まることができた幸せをともに祝う気持ちがあるからでしょう。

「満席・満員」の興行が、単なる数字上・統計上のデータではない独特の熱気を帯びたものになるのは、不特定多数の人が特定の日に特定の場所に集まることへの畏敬の念、大げさにいえば、ひとつの奇跡が実現したことによると考えていいのではないでしょうか。

興行は、たとえ宗教的・儀式的な意味をもたない場合であっても、そのような意味での「ハレ」の性格を帯びています。「満員御礼」は、そのことに改めて思い出させてくれる言葉であり、気持ちを高揚させる特別な現象です。

(3) これに対して、現在のようにチケットの前売り販売(座席の事前予約)が一般化している状態では、「チケット完売」という事態が本番前に起きることがありえます。

「満席・満員」で無事幕が開くハレの瞬間を迎える前に、経済活動としてチケットを売り切ることは、現在の制度では、決して不可能なことではありませんし、むしろ、そのように経済的な不確定要素がすべて解消した状態で本番を迎えるのが理想である、と考える運営・経営は十分にあり得ます。

ただし、このような場合、チケット販売が信用取引(クレジットカード決済や先物取引など)に近いヴァーチャルな性格を帯びることになりますから、そのことの功罪はしっかり自覚しておくべきでしょう。

興行を商品と呼ぶことができるのか、議論が分かれるかとは思いますが、あえて商品になぞらえるとすると、チケットの前売り完売は、料金先払いで期日にならないと商品の引き渡しが完了しないタイムラグ、宙づりの猶予期間を生み出します。この宙づりの猶予期間に、興行主は自らの裁量でこのメリットを活用するチャンスを得るわけですが、このような取引に顧客が異議を唱えないのは、まさしく「クレジット=信用」を担保しているからだと言って良いでしょう。

「チケット完売」は、主催者にとっては、経済活動の完了(売り切った万歳!)ではなく、つつがなく切り抜けることができるかどうか、不確定な未来を先取りした宙づりの猶予期間のスタートです。

「満席・満員」は、その場にお集まりいただいたお客様とともに祝い、お客様に御礼を申し上げることができる事態ですが、「チケット完売」は、そこから本番へ無事にこぎつけることができなければ不具合が生じるのですから、主催者にとっては油断大敵、サッカー用語で言う「最も危険な時間帯」と見ることができそうです。

他人のお金をお預かりする業務や役職を経験したことのある人ならば、おそらく、みなさん、この独特の緊張感をご理解いただけると思います。

「満席・満員」は肩の荷を下ろす瞬間であり、一方、前売り制度下における「チケット完売」は、肩に重い荷物と責任を背負った状態がそこから本番完了まで持続します。

(4) そして現在のマスメディアによる興行報道のあり方が、問題をさらに複雑にしています。

興行前の報道は、興行主が提供する資料にもとづく告知が中心になっています。その興行に報じる価値があるかどうかの判断はメディアの専決事項ですが、ひとたびそれを報道すると決断すれば、興行主とメディアはパブリシティに知恵を絞る協力関係、パートナーシップを結ぶほうが効率的・効果的です。

しかし興行が完了すると、興行についての報道は検証・論評の段階に入り、マスメディアは「取材する側」、興行主は「取材される側」として向き合う構図になります。

興行が「満席・満員であった」という事実は、事柄の性質上、興行が完了しなければ報道することができませんから、あくまで事後の検証・論評の素材であり、興行主とメディアが一体で打ち出すパブリシティの戦略にはなじみなせん。

これに対して、「チケット完売」は興行前にそうなることがあり、この場合、事前の宣伝の格好の材料となり得ます。「この興行が完売したのであれば、同じ種類の次の興行も人気が出るかもしれないから、急いでチケットを確保しておいたほうがいい」という前のめりの期待を促進する可能性が高いからです。

つまり、半可通の人間がこなれない大げさな言葉をあえて使うことをお許しいただけるとしたら、「チケット完売」という言葉をパブリシティに活用すると、さらなる「投機の欲望」を刺激することができるかもしれないのです。

おそらく現在、「満員御礼」という言葉より「チケット完売」という言葉が目立ち、好んで使われているように見えるのは、このような事情によると考えられます。

質問者:なるほど、よくわかりました。

実は、先日ある場所で、「○月×日公演のチケットは完売しました。ありがとうございます。当日券の発売はありません」というリリースをみかけて、うまく言葉にならない違和感を覚えました。「ありがとうございます」という言葉が浮き上がっているように感じたのですが、疑問が解けました。

お礼(ありがとうございました)は、本番の幕が開いたあとで、その場へいらっしゃったお客様に向けてやること(=満員御礼)で、こういう風に、事前に告知するのは時期尚早なんですね。

それに、このリリースは、まだチケットを購入していらっしゃらないお客様に向けて、残念ながらこれ以上の販売はありません、とアナウンスする趣旨ですから、そのなかに、チケットを買って本番を楽しみにしていらっしゃるお客様に向けたお礼が混ざるのは、他人宛の手紙が間違って封筒にまぎれこんでいるようなことになってしまいそうです。

ひとつの文章でまとめて処理してしまうのは、二重の勇み足だったんですね。

その公演は、幸い、無事に本番を迎えたようですが、こういうリリースを出してしまって、つまり、まだ本番の幕が開いていないのに=商品の引き渡しが完了していないのに、一方的に「ご購入ありがとうございました」と言ってしまって、そのあとで不慮の事故で本番が流れる、ということになっては大変です。(でも、興行は人間が身体を張ったアナログな営みですから、それに似た事態はほぼ必ず一定の割合で起こります。(言い方はどうであれ、「転びやすい」というまことに人間的な事態を肯定しないところに構築された物語は、「当事者」への「思いやり」があろうがなかろうが窮屈で不自然であり、「転ぶこと」を肯定する言説のほうが、そこでの思慮がサメのように浅かろうが、原則として好ましい。))ともかく、そういう不幸が起きる前に、再考・改善していただけるほうが安心・安全かもしれませんね。

(このコーナーは、本紙生活面に不定期連載……ではありません。ありがとうございました。)

△△の公演がいよいよ明日に迫りました。スタッフ一同、ご来場を心よりお待ちしています。なお、本公演のチケットは予定枚数を完売しており、当日券の発売はありません。あしからずご了承ください。

[以上92文字。△△の部分に約50文字の余裕あり。たとえば「親しみやすい手作り感覚」のブランドイメージを打ち出す興行だったら、この即座に思いつく定型文をどうアレンジするのか、お手並み拝見。

興行というやつは、時代とともにモデル・チェンジを繰り返しながら、隅から隅までずずずい〜っと見所満載の古くて新しい、新しくて古い総合芸術・総合エンターテインメントでございます。チョン、チョン、トザイ東ォ〜西ィ〜、相務めまする大夫はぁ〜。]