ゴーストのゴースト?

昨日公表された手記は、家にテレビもなければ新聞も見ない浮き世離れした人生を送る人の肉声にしては、事件発覚以来の各方面からの発言をみごとに踏まえ、なおかつ、(書き手の不利にならないギリギリの地点を的確に見極めたうえで)現在の読者の関心・好奇心に過不足なく答えようとする、まことに隙のない用意周到なものであった。

この文章の書き手は、もし本業が作曲家なのだとして、そっちの道がダメになっても、達意の文筆家として生活していけそうだ。

日頃彼が書いてきた文章と、文体は一致するのだろうか。

事情を知りうる識者の分析を待ちたい。

(ごく素朴な野次馬の好奇心から申し述べることをお許しいただけるならば、ゴーストを続けてきたことの詳細を自ら告白する文章を、ゴーストを雇ってまとめる、すなわち「やられたらやり返す、ゴーストの倍返し」は、まことにワクワクする事態、ますます真相が闇の中へ後退して興味が尽きない深さの次元が生じ、2014年らしいジャーナリズムの実例として大歓迎なのだけれど。大天使と堕天使が闘うが如き白いゴーストと黒いゴーストの対決の火ぶたが今切って落とされた、とか。

そしてサムラゴーチの話題に乗り遅れて、事件発覚以後に一連の騒動を知った皆さん、

彼の「偽装」が発覚する以前にサムラゴーチを聴く者が否応なく追い込まれた戸惑いの質感(きっとこうなんだろう、と勘が働きはするのだけれど、その勘が「当たり」である確証はどこにもなくて(実際、事実露見後の答え合わせで「百点満点」の正解にたどりついてはいなかった者のほうが多く私もそうだ)、だからオノレの「勘」を明言するには相当な準備や勇気や幸運やチャレンジ精神が必要であり、しかも、書かれたものそれ自体はどーしよーもない愚物と捨てられない一定以上の売り物として堂々と成立し得るエンターテインメント性を有しているから始末が悪い)は、ちょうどこの手記を読んだときの印象そっくりだったので、事態を追体験する格好のチャンスだと思います。

そして今回もまた、「勘」が当たっているか否か、何の保証もないのは言うまでもありません。)