チューバの有無、トロンボーンの有無

プロコフィエフのピアノ協奏曲を1番から順に聴いて、3番でサウンドがすっきり整理されたな、と思っていると、この曲のオーケストラはチューバが入っていないのだった。

ヴァイオリン協奏曲のほうも第1番はチューバあり、第2番(コパチンスカヤが先頃録音したりツアーで弾いたやつ)はチューバなしだが、これは、フランスのヴァイオリニストの委嘱とのことなので、当地のオケの標準編成で書こうとしたのかもしれない。

もしやと思ったら、ラフマニノフの2番もチューバが入る。どうやら帝政末期のロシアでは、コンチェルトのバックでトロンボーン&チューバの重い和音が鳴っても平気だったようだ。

ストラヴィンスキーが、ピアノ・コンチェルトのアイデアをもとにして、4管編成の巨大オーケストラの「オケ中」にピアノが埋没するバレエ「ペトルーシュカ」を書いたのは、ピアノやヴァイオリンのバックでブラスがバカスカ鳴る国の人だったから、みたいに言っていいのかもしれない。

(リストやチャイコフスキーの頃はピアノ協奏曲にトロンボーンが入ることすら珍しかったのだから(ブラームスのコンチェルトは全部トロンボーンなし、チャイコフスキーもヴァイオリン協奏曲にはトロンボーンを使わない、シベリウスのヴァイオリン協奏曲にトロンボーンが入るのは異例ではないか、そのせいであの曲のオーケストラはソリストに襲いかかる厚い響きになる)、いつでもチューバありとは時代が変わった、ってことだと思う。ストラヴィンスキーは、管楽器とピアノの協奏曲は言うまでもなく、ウェーバーやツェルニーのパロディと言われるカプリッチョでもチューバを使っている。チューバがないと自分の「色」が出せない人だったのかも。)

プロコフィエフの2番の、ピアノがフル・オーケストラに飲み込まれてしまうスコアは、いかにも「ペトルーシュカ以後」って感じがする。(そしてソ連時代になってハチャトゥリアンだと、ピアノ協奏曲もヴァイオリン協奏曲もチューバが入っています。)

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一方、3番は、響きがすっきりしてるだけじゃなく、打楽器の使い方なんかもラヴェルのト長調の協奏曲と似ているな、と思ったのだが、どうやら作曲はラヴェルのほうがあとみたい。例によってラヴェルがパクったか(笑)。もちろんラヴェルのコンチェルトにもチューバはない。

あと、「ピアノの打楽器的奏法」というと、バルトークがプロコフィエフと並び称されるけれど、バルトークのコンチェルトは、ピアノの3曲、ヴァイオリンの2曲、いずれもチューバは入らない(ヴィオラ協奏曲はチューバが入る)。旧ハプスブルク帝国領内には、ピアノやヴァイオリンのソリストの背後に巨大な金管楽器を置く習慣はなかったということか。

(一方、大栗裕のヴァイオリン協奏曲はチューバが入る。……「東洋のバルトーク」なのにオケの編成はロシア流だ(笑)。でも、同じ頃の外山雄三のヴァイオリン協奏曲もチューバありなので、当時の日本のオーケストラ音楽はこういうものだったのかも。もう少し調査の必要あり。)