「速いイン・テンポ」と「遅いルバート」 物事をそこまで割り切るか!

音楽(演奏)をこの2つで割り切れると思うのは、「小説は活劇か、さもなければラブ・ロマンスだ」と思うのに似ている。ダンス・チューンとスロー・バラードしか知らない子どもの感性と言うべきだろう。事実、中高生向け吹奏楽は、この2つしかないし、ミュージカルも煎じ詰めればそんな感じか。味覚を「辛い」と「甘い」に分ける、とか。

「最初はなんでも単純なところから始まって、徐々に発展・細分化するものじゃないか、可能性の芽を潰してはいけない」と言うが、「最初」を切り開く現象は、通常、もっと複雑で、むしろ、あとから薄く広がっていくときに、こんな感じに単純化される。芸能は、そういう経路をたどるほうが一般的であるように思う。

既に動き始めているムーヴメントにあとから乗っかったり、二番煎じでおこぼれにあずかろうとする人にかぎって、物事を割り切りたがる。

メッセージがくっきりはっきりしていることと、簡単に割り切ることができるかどうかというのは、別の話だ。ストラヴィンスキーやピカソはくっきりはっきりしているが、簡単に割れないでしょ。全盛期の面白い小説やシンフォニーも、また違ったやり方で、くっきりはっきりした像を結ぶが、単純ではない。文楽や歌舞伎やオペラや映画もそうだよね。