戸田直人様、三宅孝典様、大阪市音楽団様、いずみホール様、ならびに、ウィキペディア運営者様へ
作曲者の大栗裕自身は、『関西芸術』という関西交響楽団の情報紙(後継が現在の「関西音楽新聞」)に、
『大阪俗謡による幻想曲』について
という文章を寄稿しています。
発行日は1956年5月20日。この情報紙は、新聞風に記載された発行日と同時に配布されていたと考えられるので、この作品の初演(同年5月28日、神戸新聞会館)の直前に出たことになります。
作曲者大栗裕が、この作品のタイトルを初演以前に「大阪俗謡による幻想曲」と自ら書いている証拠として、ここに提示させていただきます。
戸田様、三宅様、大阪市音楽団様、いずみホール様、ならびに、ウィキペディア運営者様におかれましては、この事実をどのようにお考えになりますでしょうか?
もちろん当該掲載紙は現在では入手困難であるとの反論はあり得るかもしれませんが、わたくしは、2009年に発行された『大阪音楽大学研究紀要』47で、既にこの文章を引用し、紹介しております。
http://www3.osk.3web.ne.jp/~tsiraisi/musicology/article/ohguri-fantasia-osaka.html
今回のご執筆に際して、大栗裕自身が1956年初演前に既にタイトルを「大阪俗謡による幻想曲」としていたことは、十分に知り得たものと私は考えます。
以上