ショパン生誕200年を先取りして、手紙と評伝から台本を書く(茨木市音楽芸術協会「主役はピアノVOL.2」)

ここ数年、茨木市音楽芸術協会という団体のお手伝いをさせていただいておりまして、12/12に、茨木市の文化振興財団と共催でピアノの演奏会をやりました。

http://www.ibabun.jp/event/211212.html

後半は2台ピアノの演奏(4手でモーツァルトのニ長調ソナタ、8手でエルガー「威風堂々」)。前半は中野慶理さんにもゲストでご登場いただいたショパン特集。来年はショパンの生誕200年なので一歩先取りして、おなじみの小品の演奏を手紙の朗読などでつなぐという企画です。

恥ずかしながら、この朗読(&小芝居)の台本を書かせていただきました。

「革命」を弾く前にシュトゥットガルトの手記を朗読するとか、マズルカの前に少年時代の手紙を読む、といったアイデアは、ショパンの伝記をある程度知っていればすぐに思いつきますし、ショパンの書簡集や弟子の証言などは訳書があるので、なんとかなるだろう、と引き受けたのでした。

結果はそれなりに楽しんでいただけたようで、ほっとしました。

舞台の上手に椅子とテーブルがあって、ショパン役の男性が小芝居をするという、演奏会のなかでやるにはリスキーな企画でしたが、なんとか成立したようです。

朗読兼ナビゲーター兼役者は、若手歌手のお二人(木村孝夫くんと下岡万祐子さん)にお願いしました。木村くんは風貌的に「ショパン様」ができそうだし、声も良い。下岡さんは、時代背景などを説明するナレーター役として登場しますが、話が進行するにつれて、実はサロンで「ショパン様」を憧れの眼差しで見つめていたマドモワゼルであったことがわかる仕掛けにしました。

最初は、舞台下手の下岡さんの客観的・ト書き的な状況説明に続いて、舞台上手に木村くんが「ショパン様」になりきって登場。手紙を書き、読み上げる。そしてこれを受けて、下岡さんの締めの言葉があって、演奏へ、という段取りですが、

木村@ショパン様が、「おお神よ!」などと(ややタカラヅカ調に)天を仰いだまま退場して、そのままダーンと「革命」がはじまるシーンもあるし(これは、ベタですが舞台でやると、ほとんど鉄板な感じに効果絶大であることが判明しました、ゴッコ遊びとして、誰かがショパンの怒りの台詞を朗読してから「革命」を弾く、あるいは、この曲の演奏前には必ず心の中でショパンの言葉を唱えることにする、といった使い方ができるかもしれません、ショパンがロシア軍ワルシャワ占領を知って書いた手記の訳文は、このエントリーの最後に挙げた文献などに載っています)、

反対に、木村@ショパン様が登場せずに、下岡さんの語りだけで、弟子のグートマンが伝えるショパンの姿(ショパンが「別れの曲」を聞いて、「おお祖国よ」「私はこれほど美しい歌を書いたことがない」と言った、というエピソード)を紹介するシーンも入れて、

その次には、ベッリーニのアリアを歌いながら登場するマドモワゼル下岡に、木村@ショパン様が話しかける芝居のシーンも作ってみました。

舞台上は、ピアニストも全員女性で、登場する男性は木村@ショパン様のみ。

下岡さんは、おそらくショパンのことがお好きであるであろうお客様が心情的に同一化できる人物、という設定で、場のそういう雰囲気が安定したところでの小芝居は、「ショパン様に声をかけていただいた(嬉)」的なエピソードとして、お客様にも入り込んでいただけたようでした。

サロンでのマドモワゼルとショパン様の会話シーンのあとで聞こえてくるのは……、もちろん、ノクターン。ピアノ独奏によるセレナードでございます。

そして演奏が終わると、誰もいないピアノだけが舞台上でライトに照らされて、ショパンの死、を影マイクで語る。

最大公約数に向けた感じがテレビ的かもしれず、思い切りベタな構成です(関西のテレビといえば週末の吉本新喜劇が有名ですが、実はCX系関西テレビでは、かつて週末の夕方に昭和30年代からタカラヅカの番組が毎週ありました、昭和生まれの関西人は吉本的なノリ・ツッコミだけでなく、タカラヅカ的な演技というものを、子供の頃から擦り込まれて育ったのです(たぶん)、関西歌劇団はタカラヅカの演出家を何人も起用していましたし、関西の歌劇はたぶんタカラヅカ的な成分を多く含んでいると思います……)。でも、こなれない感じは、素人の考える台本なので、これはもう致し方ありません。素人の台本でも、やり切ってしまえば、なんとかなると思うしかない。

ただ、色々と仕掛けや芝居をやりつつ、流れとしては、そういう仕掛けが、最後に音楽への具体的な興味を抱いていただけるところへ着地するように、ということは気をつけたつもりでありまして、

ある意味では、普段、紙の上の曲目解説でやっていることを、生身の人間で舞台上でやってみたようなものだったかな、と思います。(パンフレットの曲目解説も、いくら話が面白かったり、情報が詳しかったとしても、実際にその日、その会場で鳴り響く音楽・演奏へのスムーズな導入になっていなければ意味がないですから。)

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今回実際にやってみて、こういう舞台ものは、同じアイデアでも、現場のちょっとしたノウハウ、ディテールの工夫や配慮で、客席の印象が大きく変わることもわかり、大変勉強になりました。(「演出」というのは、設定を大胆に読みかえるといった大技がジャーナリズム的には注目されたりしますが、本来はこういう現場的な工夫の積み重ねなのだろうと思います。)

そして茨木は、今回ナビゲーター役で手伝っていただいたお二人もそうですが、オペラをやっている人が結構多くて、お芝居寄りのステージを作れる土壌があるようです。

茨木の中心にある春日丘高校では、「第九」ブームの頃から合唱指導で大阪府各地を駆け回っている清原浩斗先生が長く教えていらっしゃいました。今年の3月にご退職されましたが、在職中は音楽部を指導したり、学校をあげての音楽会を毎年続けたりしておられました。オペラ演出家の井原広樹さんをはじめとして、春日丘高校から大阪音大へ進んでオペラの道へ、という人が何人もいます。学校時代からの先輩後輩、仲間意識をもてるグループができているようなのです。

そういえば、大阪の学校の音楽クラブと言えば、規模や知名度はまったく違いますが、淀川工業高校の吹奏楽が有名。こちらは、テレビでもおなじみの全国区ですね。

DVDのドキュメンタリーを見ると、丸谷明夫先生の指導・采配は、ひと頃の「コンクール常勝校」にありがちだった体育会系スパルタとは違うようです。(部員は工業高校の生徒さんですから、卒業後は企業へ就職することが多いようです。ドキュメンタリー映像を見ると、コンサートやマーチングなど活動に明確な目的・目標があって、生徒には演奏・運営で細かく役割が割り振られていて、各人が今何をすべきか、生徒自身に考えさせる、というやり方をしていらっしゃるようです。こういうやり方は、会社に入って、社会人としてやっていくときにも役に立つでしょうし、クラブ活動が、コドモをオトナに変えていく教育にもなっているんだな、と思いました。)

淀工吹奏楽日記 スペシャルエディション 丸ちゃんと愉快な仲間たち [DVD]

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(丸谷先生には、一度だけお忙しいなかでお話を伺う機会を得ましたが、なによりも声が大きい(笑)。前方10mに知人を見つけると、学生でも職員でも教員でも、どういう立場の人であっても、その瞬間に間髪を入れずに「ああ、○○さん、こんにちは!!」と自分から声をかける、という方でした。コミュニケーションの太くて広くて暖かい輪を広げていくタイプの人なのだな、と思いました。)

過去に遡ると、大栗裕の周辺でも、彼の母校、天王寺商業学校から指揮者の森正さんなどが出ていますし、大栗裕が指導した関西学院大学のマンドリン・クラブには、(時期が微妙にズレますが)リュートの岡本一郎さんなどがいました。

遊牧・ノマドや「逃走せよ」といったニュー・アカ、浅田彰の標語が消費社会のキャッチコピーになったりもした80年代に、坂本龍一と共演したこともあるダンスリー・ルネサンスは、岡本一郎さんを介する細い糸で大阪・船場のおっちゃん、大栗裕とつながっていたと言えそうなのです。

(大栗裕はモンゴルの馬頭琴伝説「スーホーの白い馬」を音楽物語にしていて、2007年の関西学院マンドリン・クラブ90周年記念演奏会では、この作品を岡本一郎さんが指揮しました。この映像DVDは大阪音大の大栗文庫にも寄贈されています。大栗裕と「エンド・オブ・エイジア」を“領域横断的”(←80年代に好まれたキーワード!)につなげることだって不可能ではないかもしれないのです。)

エンド・オブ・エイシア

エンド・オブ・エイシア

……というように、音楽活動の拠点になった(なっている)学校というのが、あちこちにある(あった)のだろうと思います。

(関西の音楽関係者には、京都洛星オーケストラ部出身の人も何人か、いらっしゃるようです。あの人たちはそんなところで先輩後輩の関係だったのか、とあとでわかったりする……。)

学校のクラブ活動を拠点にした音楽の輪の広がりは、最近、気になるテーマのひとつなのです。

戦後の学校教育では、愛国精神や愛校精神など、ひとつの旗印の下に集まることがあまり歓迎されない風潮があった(ある)わけですけれども(左翼の赤い旗は、そうしたシンボリックな関係性ではなくて、委員会や合議といった機能的組織形態を好む)、旧制高校の代わりを果たしたと言えそうな私立一貫校だけでなく、公立学校では、クラブ活動が社会性・社交性を学ぶ場になって、卒業後も続く人脈形成・信用のネットワークのひとつの水脈になった一面があるのではないでしょうか。

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それにしても、話を元に戻すと、ショパン関連本は、日本でもたくさん出ているようですね。

モーツァルトやベートーヴェンの手紙は、岩波文庫ですから昭和の初めくらいから読まれていたようですが、ショパン本人の書いた文章や、弟子たちの証言が積極的に紹介されるようになったのは、ここ十数年のことかな、と思います。

ちなみに、わたくしが今回、台本を書くときに参考にした訳書は、以下の書物。(ただし舞台で台詞として読み上げるのはこのままでは難しいので、台本は原文・訳文を参照しつつ、創作を交えて、ショパンの言葉を独自に翻案・脚色しました。)

弟子から見たショパン―そのピアノ教育法と演奏美学

弟子から見たショパン―そのピアノ教育法と演奏美学

ショパンの手紙〈新装復刊〉

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決定版 ショパンの生涯

決定版 ショパンの生涯

あと、ショパンの音楽がサロンという場所でしかありえないものだった、ということを忘れないために、シルヴァン・ギニャールさんの研究、論考をいつも念頭に置いているつもりです。

  • シルヴァン・ギニャール/伊東信宏(訳)「音に託す伝承」、谷村晃/山口修/畑道也編『音は生きている』(芸術学フォーラム6)、勁草書房、1991年、167-182頁。

音は生きている (芸術学フォーラム)

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この論文が日本語では一番詳しいと思いますが、入手しやすいのは、『ピアノはいつピアノになったか?』のなかのショパンの回の講演記録でしょうか。

ピアノはいつピアノになったか? (阪大リーブル001)【CD付】

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  • 作者: 伊東信宏,松本彰,渡辺裕,渡邊順生,村田千尋,S.ギニャール,岡田暁生,小沼純一,三輪眞弘
  • 出版社/メーカー: 大阪大学出版会
  • 発売日: 2007/03/30
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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