日経大阪版夕刊に大栗裕

3月8日付日本経済新聞の大阪版夕刊に、大栗裕を紹介する記事が出ました。

これは、日経大阪の音楽担当記者さんが生前の関係者に取材してまとめた記事。吹奏楽を中心に、大栗裕の「音楽」を紹介する文章は色々ありますが、人となりに焦点を当てた文章が活字媒体(図書館に保存されるような)に出るのは、私が知る限り、作曲家デビュー直後に柴田仁さんが『音楽之友』(1956年6月号)にインタビュー記事を書いて以来ではないかと思います。実にデビュー以来半世紀を経て、大栗裕の人柄が明かされる!?

(紹介記事がずっとなかったのは、関西ローカルの音楽活動の露出度というのはそういうものだ、ということかもしれませんが、生前の大栗裕が、自分が前に出るタイプではなかったせいでもありそうです。楽譜は、書いたらどんどん演奏家にあげてしまう人だったようですし、自分は死んだらそれまで、音楽が残ればいい、と言っていたとも聞きます。)

佐々木記者の記事では、片山杜秀さんがコメントを寄せてくださっているほか、次女の亜沙子さん、ホルンの弟子の元大フィル・近藤望さん、淀工の丸谷先生が思い出を語っていらっしゃいます。どの発言にも、それぞれ私の知らないエピソードが盛り込まれていて、本職の新聞記者さんの取材力・インタビュー力は大したものだと思いました。

生前をご存じの方にお話をお伺いすると、誰もが口を揃えて、本当にいい人だった、と温かい表情で答えが返ってくるという印象があります。その感じが伝わる記事ですね。

没後30年で、大栗裕の音楽に興味を持っていただくきっかけになれば、と思います。

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(ところで、先週3/3の産経新聞に出た記事の現物が手元に届きまして、ウェブ版ではわからなかったのですが、想像していたよりはるかに大きな紙面で少々慌てております。

大栗裕は残念ながら既に30年前に亡くなっておりますので、他に適切な生きた被写体がなく、それでとりあえず、ということだと思うのですが、白石知雄の写真があんなに大きなスペースを取ってはいけません。

日本は何度でも繰り返し「江戸時代化」する社会なのですから、一介の地方音楽評論家は、世間様のお目こぼしで細々と、片隅でおとなしくしていなければ!それが身分社会というものです!

それに、この白石知雄という人の華のない人生は、経験上(たまたま当事者なのでよく知っているのですが(笑))、周囲がお目出度かったり、にぎやかであったりすることはあっても、そこに乗っかって本人がはしゃぐと直ちに座が白ける、という鉄則が貫かれております。

大栗裕の没後30年という大事なときにこの法則が再現されては世間様に申し訳が立ちませんから(←極めて切実に「江戸時代」な心情)、自重のうえにも自重して、つつがなく記念の年を過ごすことができればと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。)