「市長は府の長と市の長を両方経験されているので、語呂を合わせて不死鳥(ふしちょう)を持ってきました」
橋下市長にブーイングと拍手 大阪クラシック開幕(2/2ページ) - MSN産経west
市長の返しを含めて、なんなんだこの大喜利は、と記事を読んで爆笑してしまいました。切迫した時節にシャレが効いているんだか、不謹慎なんだか、よくわからないぶっ飛び方が、私は好きです。
(今年の大阪クラシックは最終公演も市庁舎でやるそうですし、こうやって「不死鳥」氏ご本人が出てこなきゃいけなくなる場で立派にコンサートをやることが、何よりのメッセージですよね。)
が、これほどわかりやすく話題と注目が一点・一方向へ集中してしまいますと、ついつい天の邪鬼の血が騒いでしまうと申しましょうか、昨日・今日と2日続けて、南海電車で堺まで行って、団伊玖磨「ちゃんちき」を観ておりました。
(本当は、オーケストラ・ニッポニカの大栗裕・大澤壽人・宅孝二・清水脩の大阪特集も、ものすごく行きたかったのですが……。清水脩の交響曲、絶対CDにしてください!)
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「ちゃんちき」です。
真面目な感想は別の機会に書きますが、第2幕で、狐の親子が獺のおやじにすっとぼける場面(狐と獺のばかし合いがいつの間にかシリアスな状況へ逢着する民話劇なのです)を観ながら、團伊玖磨は大栗裕のアカジンを研究したんじゃないだろうか、と唐突にそんなことを思いました。
大栗裕の歌劇「赤い陣羽織」の初演は1955年で、翌年、東京公演があって、『現代音楽に関する3人の意見』(中央公論社、1959年)という團・芥川・黛の鼎談本で、團伊玖磨は、関西歌劇団の作品について、「音楽が貧しい」と発言しています。
で、「ちゃんちき」の初演は1975年。
日本オペラ協会は、武智鉄二を演出に迎えて1970年に「赤い陣羽織」を上演して、翌年にヴォーカル・スコアを出版。1973年には関西歌劇団のLPも出ていますから、アカジンは、初演から20年経って、この時期に東京でも改めて認知され得る条件が整っていたように思います。もしかすると、田中角栄の列島改造論の1970年代に、「赤い陣羽織」は、風雲児・武智鉄二の初演当時のコンセプト(→http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20120823/p1)を離れて、地方オペラの先駆けと位置づけ直されたのかも。
そして團伊玖磨は、名古屋弁の民話劇「ちゃんちき」のなかに、かつて貧相な音楽と切り捨てたアカジン的なものを、改めて地方オペラという回路で取り込もうとしたのではないか?
(もしそうだとしたら、60年代唯一の新作「ひかりごけ」で芥川也寸志の「暗い鏡(ヒロシマのオルフェ)」(1959)のような前衛音楽全盛期の現代もの(もしくはメノッティやブリテンがもてはやされた時代のホモソーシャルもの?)をキャッチアップして、70年代唯一の新作「ちゃんちき」で“地方の時代”に対応しようとしたということで、團伊玖磨の負けず嫌いというか、貪欲さというか、劇場人の“今”の空気を吸っていたい欲望みたいなものが現れていることになるのかもしれませんね。)
「ヒロシマのオルフェ」は現役商品のCDがある。かたや團伊玖磨の歌劇は、「夕鶴」以外、なかなか映像・音盤が出ないですね。「聴耳頭巾」と「楊貴妃」を聴いてみたい、観てみたいです。芥川也寸志:ヒロシマのオルフェ、音楽と舞 による映像絵巻「月」
- アーティスト: オーケストラ・ニッポニカ本名徹次,黒田博,腰越満美,加賀ひとみ,吉田伸昭,CHOR JUNE,すみだ少年少女合唱団,オルフェ合唱団,芥川也寸志,本名徹次,オーケストラ・ニッポニカ
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「ちゃんちき」はこれまでノーマークの作品だったのですが、台本は水木洋子(今井正や成瀬巳喜男の数々の映画の脚本家)の書き下ろし。
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しかもその原形は、1959年に二代目西川鯉三郎の新作舞踊劇(「名古屋をどり」)のために書かれたというじゃないですか。
水木洋子から木下順二(「赤い陣羽織」の原作者)への左翼ライン、とか、西川鯉三郎から六代目菊五郎へのライン(武智鉄二の三人目の妻、川口秀子もここへからむ)とか、あと一歩で武智鉄二へつながりそうなところを、その寸前で踏みとどまっている感じがします。名古屋弁、というのも関西の一歩手前で踏みとどまった感じですよね。
俄然この作品に興味が涌いてきました。
團伊玖磨のオペラは「ちゃんちき」の時点で5作(「夕鶴」1952、「聴耳頭巾」1955、「楊貴妃」1958、「ひかりごけ」1962、「ちゃんちき」1975)。大栗裕は前年の「ポセイドン仮面祭」が7作目で、数は大栗のほうが多く書いていたんですね(「赤い陣羽織」1955、「夫婦善哉」1957、「雉っ子物語」1958、「おに」1960/1965、「飛鳥」1967、「地獄変」1968/1970、「ポセイドン仮面祭」1974)。
- 作者: 増井敬二,関根礼子,昭和音楽大学オペラ研究所
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「ひかりごけ」以後10年以上團伊玖磨の新作がなかった時期に大栗裕は大きいのを3つ書いて頑張りました。「おに」と「地獄変」の改訂再演を入れると、2〜5年に1本は新しいものを出し続けたことになります。オペラ一本作るのにたくさんの人が何ヶ月も関わるのは今も昔も同じですから、朝比奈隆と野口幸助のいた関西歌劇団には馬力があったということでもあるんでしょうね。大阪音大大栗文庫のロッカーには、オペラ7作のぶ厚いスコアと膨大なパート譜が並んでおります。当時は全部手書きですから書くだけでも大変……。
團伊玖磨は、このあと約20年経ってから、1994年「素戔嗚」、さらに1997年新国立劇場こけら落としの「建・TAKERU」を書いて、最終的なオペラ作品数は大栗裕と同じになりました。
(以上、あくまで数だけの話で、作風から何から、団伊玖磨と大栗裕を比べるのが乱暴なのは重々承知してますが、でも、オペラはただ書けばいいものじゃなく、新作オペラを制作して公演までこぎつけるのは大きなプロジェクトですから、いくつ実現したか、というのに一定の意味はあるかもしれないと思います。戦後の同じ時期の大阪と東京でのことですし。)
それにしても、「TAKERU」は73歳で書いたんですね。ヴェルディが74歳で「オテロ」、79歳で「ファルスタッフ」を書いていますが、70代でフルサイズのオペラを書くのは凄いと思います。メシアンの「アッシジ」は小澤征爾が初演指揮者に指名されて話題になりましたが、これも作曲者74歳ですから、團の場合とそれほど違わない。やっぱり「TAKERU」は闇に葬ってはいけない作品じゃないだろうか。リヒャルト・シュトラウスは77歳で「カプリッチョ」を書いて頑張りましたが、ワーグナーは69歳で「パルジファル」を初演して、それで終わりですから……。
ところで、『日本オペラ史1953〜』は、「ちゃんちき」の芸術祭30回記念の委嘱作品としての公演(芸術祭主催公演)が二期会のところに出ていて、その後も二期会と名古屋二期会による再演記録はヨーロッパ公演を含めて入っていますが、大阪国際フェスティバルのオペラは、外来ものしかフォローしていないんですね。1991年に大阪でやった「ちゃんちき」の記録は出ていないようでした。
1960年の大阪国際フェスティバルの「黒船」も、124頁に写真が掲載されて、キャプションは、日本楽劇協会主催制作とあるのみですね。