お笑いジョウト

落語家風に正座するキャラクターが関西テレビの周囲に多く出現しているが、

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ハリセンは確定申告で税務署へ行く途中に、嘉門達夫の実家の近所で見つけた。

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そのあと、マンタが出たようなので旧茨木川跡の散歩道(ここを歩くのは高校3年の妙見夜行登山以来ではないか)を進むと斎場に出た。父の葬儀をやった八尾の火葬場とロケーションや雰囲気がよく似ている。同じように冬の晴れた日なので、なおさらそう思ったのかもしれない。

斎場から数ブロック行けば、道が碁盤目状に区画されて、城下町らしい街並みに戻る。旧市街に入ると、歩道もきれいに整備されている。

関ヶ原のあと片桐且元が茨木城主だった時期があるらしいが、城下町の火葬場はこういう方角にあるものなのか、と思っていると、高校時代に後輩たちが吹奏楽コンクール地区大会の打ち上げをやった喫茶店が、今も当時のままの姿で営業していた。

このキャラクターたちがデザインされた1990年代末には、10数年後の「カントー地方」(リアル)で激烈な吉本バッシングが起きるとは夢にも思わなかったでしょうね。

sports は何がどのように desportare なのか

スポーツはビデオゲームに先駆けて随分前から大学にポストを確保しているし、メディア・イベントとしての隆盛を受けて、スポーツ(自ら競技しない観戦を含む)の社会学もさかんなようだ。遊びの社会学の井上俊先生が武道とスポーツの社会学に進んだのがその典型だろうと思う。

sports の語源は desportare。荷を運ぶ(portare)の否定形(des-)で、重荷を降ろす→気を晴らす/憂さを晴らす、ということのようですね。

しかし、sports は具体的に何がどのように desportare なのだろう。20世紀以後の身体観に照らすと、身体を動かすことによる開放感が desportare なのかなあと思うけれど(「あじわいの美学」にそのような話がありませんでしたっけ)、貴族の sports (乗馬やフェンシング)は、武術の基礎技術ではあるのだけれども命のやりとりをしない訓練であるところが desportare なのではないか、という気がしないでもない(ノルベルト・エリアスが「文明化の過程」としてスポーツに注目したのはこの文脈だろうと思う)。

エリアスの文脈は、ホイジンガ流のホモ・ルーデンス論と合流して「遊び/ゲームとしてのスポーツ」という観念を支持しそうだが、desportare の語の理解として、これで大丈夫なのだろうか?

競技音楽の時代

ゲーミフィケーションというキラキラ用語で言われていることを、game という言葉を外して言い直すとどうなるかの一例だが、ここ数年の日本のクラシック音楽で何が起きているかというと……、

補助金漬けの体質を脱して自活せよ、という明示的・暗黙的な大号令が各所から発せられて、これ自体は世界的な潮流だが、日本の関係者がどうしたか、というと、音楽を、世間で好調であるらしいスポーツに似た「競技」に擬して、システムを組み替えようとしているのだと思う。本家ヨーロッパにはまだ「アート」の概念がありそうだし、北米なら「カルチャー」や「ホビー」の領域を頼ることができるのだろうけれど、この島ではどちらも弱くて、スポーツだったら、オリンピックでも各種競技会でも、それなりにワールドクラスな人材を出すインフラがあるので、これが手っ取り早いモデルになった、ということだと思う。(吹奏楽のように競技性の強い隣接ジャンルがさかんでもあるし。)

文学や美術も似たところがあるんじゃないだろうか。

たとえば批評の場所がなくなりつつある(ように見える)というのは、競技だったらルールがあって勝敗がフィールド内で自ずと決まり、判定は厳正な審査・審判としてしかるべき機関が行うはずで、観客があーだこーだと評価を下す余地はない、ということの類推だと思う。観客の仕事は「感動」や「感想」を語ることであり、私設審判団めいた批評とか意味わからん、ということだと思われる。

そして音楽ライターの台頭は、スポーツライターのそれに似ている。競技は、批評するものではなく、プレスパスを持った者が「取材」する対象であり、それに尽きるというわけだ。

「フェアプレイ」の精神でトレーニングを積んだ日本のオーケストラがドイツの地方新聞でけなされる、という事態が起きたときに、音楽ライター山田治生が「それは審判の地元笛だ」と言い放ったのは、典型的な「競技音楽」の発想だろう。

でも、音楽は競技じゃない。何らかのルールを自前で想定して「フェアプレイ」に徹するのは、そうしたいならやってもいいが、残念ながら、音楽に厳正な審判は存在しない。

そんなものが存在しないにもかかわらず、各々好き勝手な判断が積み重なったときに、おおむね、そんなところだろう、という線に落ち着いてしまうのがアートの面白いところなのだから、「ゲーム/競技」モデルには無理がある。

そうは言っても、こういうことは戦争と同じで一度動き出したら行くところまで行かないと止まらないだろうから、一方で、「競技」モードで勝つしかあるまい。

(ゲームではないものをゲームとして遊ぼうとしても、プレイ自体が破綻するか、あるいは、あほらしくて、みんなそのうち飽きるor止めるだろうしね。)

そしてこの種の、あほらしいことに当面はつきあわなければならないんだなあ、というのは、哲学で言うアンチノミーとは違うと思う。売れるメジャーでありつつマイナーであれ、みたいな格言は、哲学ではなく単なる処世術だ。

世紀転換期に、ライヴvs録音、みたいな線引きであれこれ言っていた頃とは、世の中のモードがはっきり変わった感触がありますね。

脱・序曲

今度の大河ドラマのテーマ音楽は、シリアス音楽の作曲家たちが映画音楽の応用で踏襲してきた「序曲」の文法をすっかり外してしまったんですね。ブラスの盛り上げ方は吹奏楽っぽい。菅野よう子か。

自己模倣と革命歌の引用

ショスタコーヴィチの交響曲第12番は第5番の焼き直しのような自己模倣。第5番自体がベートーヴェンとチャイコフスキーを掛け合わせた一種のパロディなのだからコピーにコピーを重ねて、ストーリー展開はスムーズだし、能力のある作曲家が12曲も交響曲を書いたら技量は上がる。オーケストラのヴィルトゥオーゾ的なショウピースとしては、途方もない曲ではないと思う。(もっと演奏されてよさそうなのにそうなっていないのは、「1917年=レーニン/スターリン交響曲」というメッセージ/プロパガンダだからなんでしょうね。)

そしてこういう風にシンフォニーのフォーマットが快調すぎるくらい透けて見える音楽と並べると、交響曲第11番の異様さが際立つ。

導入部の調性の枠内で進行しているのにあっちこっちで闇に足を踏み込む不気味な和声だけでも尋常ではないと思うけれど、これは、革命歌をつなぎあわせた「歌の交響曲」なんですね。軍歌や宗教歌の伝統に連なる革命歌と、シンフォニックなオーケストラという人工的な音響合成装置の様式・書法の対立が、民衆に重火器が襲いかかる血の日曜日事件と重ね合わされている。

「歌」を連ねてシンフォニーを書く、というのは、第5番/第12番とはまったく別系統の課題で、作曲家として興味をそそる仕事だったのではないだろうか。ショスタコーヴィチがこのあと独唱や合唱を伴う交響曲を手がけるのは、この革命歌による交響曲の経験があったからこそではないかと思う。20世紀の交響曲には、これと平行する事例がありそうだし、ベートーヴェンの第九にはじまるカンタータ交響曲の系譜とは違うタイプの歌と交響曲の組み合わせ方をしているのだから、交響曲第11番は、交響曲の歴史にしかるべき位置を占める特異点ではないかと思う。

オーケストラのアンサンブルのたがが緩みかけている演奏だったのは否めないけれど、こういう企画で2つの交響曲をくっきり描き分ける仕事は井上道義にしかできないと思う。オーケストラの性能を再度チューンアップするためには、なるほど別の指揮者が必要なのかなあ、と聴きながら思ったのだけれど、でも、家に帰ってしばらく考えているうちに、こういう事態の責任を全部指揮者に負わせるのは、根本的解決というより対処療法のような気がしてきた。

指揮者に責任を負わせることで、オーケストラの体質的な問題が不問に付されて先送りされていいのかどうか。大事な場面のフルートとクラリネットのソロのピッチがあんなにおおっぴらに合わないのは、指揮者が悪い、というだけのことではなさそうな気がする。

(それにしても、ショスタコーヴィチが当局との緊張関係のなかで書いた「戦いの交響曲」の合間の休憩時間にロビーで東条氏をみると、「中央から偵察に来たKGB」みたいに見えてしまいますね(笑)。)

ゲームと競技、ゲームと科学、ゲームと経済……

英語のように play と game を区別する言語は他に見当たらない、という意見があるようなのだが、日本語の競技・競争に相当する言葉を多くの言語に見つけることができるのではないだろうか。だから、英語の特徴は、遊びとゲームを区別することにあるというより、競技・競争に相当する概念を遊びに引きつける傾向が強い点にあると言うべきではないか。そしてゲームという概念を持ってしまった英語は、そのことによって、遊びと競技・競争の境界や差異や関係を語ることが、むしろ、難しくなっているのではないか。

そしてさらに言えば、ゲームへの関心、ゲーム化への過剰な期待の基底には、ゲームの語を使うことで、競技・競争の語を消してしまって、競技・競争を競技・競争としては語れなくしてしまう欲動があるんじゃないか。

なぜ、そんなことを欲望するか、というと、たぶん、世界を全面的に競技・競争の舞台としてのゲームにしてしまいたいのだと思う。私は無理だと思うけど。

たとえば、戸田山和久の科学哲学は、「科学はゲームではない」ということを、あたかも科学をゲームであるかのように語れてしまいそうな英米哲学の作法で論証しようとするところが特異で勇敢なのだと思う。

たぶん、戸田山に続け、とばかりに、「経済はゲームではない」「政治はゲームではない」「アートはゲームではない」ということを英米哲学の作法で論証することができるのではないか。そしてそうなると、この世界には、なるほどそのように望めば「ゲーム的」に取り扱うことができないわけではないけれども、きちんと議論を詰めれば、残念ながら、やっぱりゲームであるとは言い得ないような領域がたくさんあって、そういう領域を取り去っていくと、ゲームの領土はかなり小さく痩せ細るのではないかと私には思えてならない。

ゲームへの過剰な期待が落日の大英帝国に見える、というのは、そういうことだ。

「大英帝国2.0」の euphonia と性差

拡張現実がピンク色に染まるところまでは、日本産のキャラクターをこのように意味づける21世紀のオリエンタリズムが発現した(=ジャパニメーション/クール・ジャパンは21世紀のグローバル情報社会における新種のエロチシズムだよね)ということでいいとして、幸運という名のキャラクターがエプロン姿の幸福に進化するのを目の当たりにすると、euphonia という言葉が浮かぶ。多幸感と訳されるが、17世紀以後近代の医学・心理学によるギリシャ語めかした造語には、人為的な過剰の含意がありそうなので、「多幸」というより「過幸」かもしれない。

game と play が別の言葉であるアングロサクソン圏とは、事実上、旧大英帝国領なのだから、game play における rule の語は、彼らの大好きな「大英帝国の君が代」であるところの Rule Britanica の rule を背負っていそうですよね。

ハーフリアルが euphonia を指向する「リアリティ2.0」は、むしろ落日感と裏腹の「大英帝国 2.0」なんじゃないか。そしてそのような文脈におけるゲーム研究は、フランスとドイツのナショナリズムの表象を探究した者が、満を持して、大英国の表象に取り組むことだ、というのであればいいのだが、今はまだ、その種の言説は、探究なのか郷愁を伴う帰依・帰属(ハーフリアルな大英帝国2.0への)なのか、区別がつかない。

彼らには、まだこの課題における研究と帰依と郷愁(←学生時代の憧れの先輩に誉めてもらうことを無上の喜びと思うような)を分けるものが何なのか、はっきりつかめていなさそうな印象がある。

(マイナーであることと、メジャーに売れることのアンチノミーを引き受けろ、みたいな言い古されて当然すぎる格言を弄んでいるようでは、危なっかしいことこの上ない。)

[追記]

と書いてから一日経って、少し考えが変わった。多幸的なエプロン姿は♀の象徴なのかもしれませんね。年末年始に新世代をベイビーでシンボライズしたところからストーリーがつながっていそうだ。

旧世代にも性別が事後的に設定されたが、確認したら多角形のカクカクしたキャラクターだけ性別がない。

世界をピンク色に染め上げる先般のイベントで、この多角形と、のちにエプロンに進化することになるキャラクターの2つが大量に出現したのは、新世代の登場で性差を導入することへの誘導だったのかもしれませんね。

わたくしは、闘う意志をもたないので、相貌の好ましい種だけを強くして、あとのキャラクターはすべてcp10を目標にどんどん弱いものだけを選別して残す、ということをずっとやっておりますが(TLが上がると、cpが低いのを見つけるのはそれなりに根気が要る)、事後的に導入された性別を確認すると、わたくしがcp1000以上に育てていたキャラクターたちは、♂が8種、♀が5種。雌雄の比率は、日本の大学教員の男女比よりも、はるかに雇用均等・共同参画な感じになっていたようです。

それなりにポケモンgoをやりこんでいると伝えられる記号学会の会長さんや、自宅のベッドでゲームを楽しんだ(参与観察した?)と自己申告しておられたゲーム研究者さんのお手元のデータベースは、どういうことになっているのだろう。

ヴァーチャルが現実に介入するゲーム的ジェンダー論の恰好の素材だと思うのですが?

(そして女性参政権は20世紀のムーヴメントであり、ドイツにせよフランスにせよ大英帝国にせよ、第一次世界大戦以前の帝国とナショナリズムを扱っているかぎり、出て来ない案件ですが、大英帝国的に「リアリティ 2.0」を構想して、大丈夫なのでしょうか?

他方で、新世代における性差の導入は、同じ種でも外見や属性が異なる状態を保持するわけで、プログラミング上の大きな変更だっただろうと思われます。データベースの項目を増やして、億単位のユーザデータに新たにそれを書き込んでユーザの端末と無線通信で同期するのだから作業は膨大ですね。ピカチュウに赤い帽子を被せたり、ベイビーの登場で図鑑の枠を段階的に増やしたのは、この作業の下準備だったのかもしれませんね。

人間たちが雑誌や研究会で「1.0」感満点にホモソーシャルな旧交を温めている間に、ハーフリアルなのかもしれないゲームは、着々と性差のある「2.0」を遂行している。)

憂国のようなもの

山田和樹が本気で取り組むとしたら柴田南雄だろうとは思うけれど、柴田南雄によって代表される文化や地域というのがあるとしたら、それはあまり幸福な共同体ではないかもしれないなあと思う。

柴田南雄は作曲家としても音楽学者としても一流であった、と留保なしに言い切ろうとするから無理が生じる。様式模倣が生気のない標本のようになってしまうことや、科学精神といっても枚挙という方法論による系統樹の作成を目指していたに過ぎなかったことが柴田南雄の限界であり、再評価はそれを認めた上での話だろう。

ところで、「ゆく河の流れはたえずして」を初演したのは森正だったわけだが、柴田南雄の自伝を読み直すと、敗戦直後の森正がフルート奏者として参加していた室内楽を柴田が高く評価していたことがわかる。後年の文章でも、何度か当時を回想している。この交響曲は森正を信頼したうえで書かれたんだと思う。

この交響曲は、いかにも森正が適切に演奏できそうなスタイルで書かれていそうだし、例えば、古典派の様式模倣は、漠然と古典派の模倣という一般論で語るのではなく、森正がフルート奏者として吹いたモーツァルトの記憶(敗戦直後の日本の洋楽ファンの脳内にあった古典音楽のイメージ)だと思うほうが、像がくっきりするのではないか。後期ロマン派や無調等についても、模倣の典拠を同様に正確に特定することが、そのようなところに典拠を求めることで“歴史”が語れると考えてしまった作曲者の歴史性を現在の視点から評価する手がかりなのではないか。シュポアの歴史交響曲が、1830年代に書かれた当時既に盛りを過ぎつつあった音楽家による歴史像だったように、柴田南雄のメタムジークは、あくまでも1970年代後半に還暦を迎えた初老の日本人男性に音楽の歴史がそのように見えていた、という以上のことではないと思う。

プッチーニと三木佐助と日本音楽の五線採譜史

「蝶々夫人」はカルスタ・ポスコロの恰好の題材で、ロティ「お菊さん」やオペラ「ミカド」などを参照しながらロングの小説、これにもとづくベラスコの戯曲(これをプッチーニはロンドンで観た)を読むのが流行っているが、「蝶々夫人」が、宮さん宮さんやお江戸日本橋やかっぽれを原曲の文脈と無関係に引用した功罪については、随分前に徳丸先生が書いて以後、あまり進展がないように見える。

ひと頃は、イタリア大使夫人の大山久子(川上貞奴の欧州巡演を助けたこともあったらしい)がプッチーニに接触した事実に着目する議論もあったが、どうやら、彼女がアプローチする前からプッチーニは独自に日本の音楽の資料を集めていたらしい。

プッチーニ「蝶々夫人」のアメリカ批判 - 仕事の日記

それじゃあ、プッチーニは具体的にどのような資料で日本音楽を知ったのか?

フレッド・ガイズバーグの1903年の録音(レコード黎明期の日本の音楽の最古の録音)をプッチーニが入手していたのではないか、という説がちゃんと検証されたのか、私はよく知らない。(「蝶々夫人」作曲当時に存在したのはこの録音くらいだとは思うが。)

ほかには三木書店(のちに三木楽器を創業した三木佐助の店)から出ていた『日本俗曲集』(海外の需要を想定したのか英語の序文と目次が添えられて曲名は日英併記)が注目されているようだ。

国会図書館のデジタル・ライブラリーを見た限りでは、『日本俗曲集第1集』は1891年の初版、1892年の再版、1893年の四版で、収録曲や版組が少しずつ違う。「みやさんみやさん」「お江戸日本橋」など、プッチーニが使った旋律が揃うのは1893年の版になってからのようだ。

プッチーニの遺品等と照合してこのあたりを詰めれば、しかるべき研究になると思うのだが、誰もやっていないのだろうか。

『日本俗曲集』の編者は、1888年に第四師団軍楽隊員として大阪に着任したばかりの永井岩井(第四次第軍楽隊設立時の楽隊長だったらしい)と小畠賢八郎(隊長時代に菅原明朗が作曲を学んだことでも知られる)だし、日本における五線譜トランスクリプションの歴史に、三木佐助(のちにベルリンから帰国した山田耕筰をサポートすることになる)がしかるべき位置を占めているとしたら、関西洋楽史としても面白いトピックだと思うのだが。

好奇心

その1:

春先に何度か通ったはずだと思い、写真を探したらあった。

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市議会議員さんが国からの売買契約の情報開示を求めた土地の上空を飛ぶANAのボーイング767。

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exif情報によると、2016年4月26日14:55。着工前ですね。

その2:

2匹目が誕生したので、ピカチュウに関することはひととおり試すべし。

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進化させてみた。

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