2017-05-01から1ヶ月間の記事一覧

問題提起と問題解決

人文学は何の役に立つのか? - 道徳的動物日記答えをはぐらかすから人文は信用されないんじゃないか、という指摘は、一般化すると、問題の「提起」ばかりで問題の「解決」への道筋が見えない議論に、世間はうんざりしている、ということかと思う。有望な若手…

twitterの闇

それは、公的機関のうち在留外国人と関わりの深い部署は、日本を訪れる可能性の高い外国人が使用すると想定される世界中のあらゆる言語(もしくは主要言語)で応対できるべきである、という実現不可能だし、やらねばならないのか定かではない無茶な要求を掲…

『キーワードで読むオペラ/音楽劇研究ハンドブック』

(1) 384頁 第1段落6〜7行目: 清水脩が作曲した《修禅寺物語》である(放送初演はこの前年におこなわれていた)。 修禅寺物語の放送初演は、関西歌劇団による舞台初演(1954年11月6日)の直後、1954年11月18日(朝日放送、文部省芸術祭放送による参加)です…

予約席の取り扱い

あれはドイツ国内だけの決まりだったのかヨーロッパ(大陸?)の鉄道全般に通用したのか、そして今もDBはそういうルールが有効なのか、私はよく知らないけれど、留学していた1991/1992年のドイツの列車の座席の予約は、実際に列車が走り出して30分過ぎてもそ…

知と契約

書く時間がなかったが、遊牧と僧院の比喩の件には私なりの続きがある。知・学問が社会・共同体とは本質的に適合しない営みであり、だからこそ、外部へ出たり、山奥に引きこもるしかないのだ、という判断が、私には実はよく理解できない。むしろ、知や学問は…

熱狂の日をめぐる情熱と冷静

井上道義が、彼の預かり知らないところで金沢がLFJから外れることになったと書いているのを知り、大津のLFJに、当初はマルタンと並んで記者会見に臨んでいた沼尻竜典がある時期から参加しなくなったのとは、また違う事情があるのかな、と思った。もちろん具…

遊牧から僧院へ:創られた高等遊民神話の現在

80年代ニューアカ・ブームでは、スキゾの語とともに、「逃走」のシンボルとして遊牧・ノマドへの憧れが語られた。柄谷行人が垂直の形而上学ではなく水平・横断的な世俗批評を唱えたのもその文脈だろうし、サントリーがテレビCMにランボーを登場させたりした…

アジアの半島問題の歴史的深度

ATMを求めて連休の谷間にイオン・モールに行ったら、駅から続く歩行者専用道路を家族連れがのんびり歩いて、随分快適な空間であることに気付かされた。東浩紀は随分前からそう言っていたが、郊外のショッピングモールは、もはや「ファスト風土」というような…

お金と数字が他力本願な文系人のお務め

その1:大学改革が難しい理由 - みたにっき@はてな大学教員は自営業に喩えられると言うが、大学という施設の土地・建物・すべての資財と消耗品の維持管理費を含めた経理、監督官庁とのやりとり等を大学教員が個人がやっているのだろうか? 大学という法人…