いずみシンフォニエッタ第17回定期演奏会(の批評)

先の日曜日11/4の演奏会ですが、本日の「日経新聞」大阪版夕刊に批評を乗せてもらえる予定です。

今回の指揮者は高関健さん。曲目の目玉(として事前に主催者さん側で強力にプッシュしていたの)は、ファーニホウ「想像の牢獄」とケージ「ピアノとオーケストラのコンサート」。ケージは、どういう曲なのか話だけは色々なところに書かれていて、録音もあるわけですが、実演を経験しないと=実際に目の前でやって見せてくれないとコメントしようがないタイプの曲だと思うので、とにかく聴ける/見れるのが楽しみ。一方ファーニホウは、楽譜が複雑で演奏の限界、ということが散々喧伝されておりまして、でも、音楽は受験勉強ではないので、制限時間内で難問を解いて100点を取ったから誉めてくれ、と言われてもそういうものではないだろう、と、だいたいそういうことを事前に考えながら本番を迎えました。

学校に喩えるとしたら、1時間目のファーニホウが最難関の定期試験。それが終わったら、午後はジョン・ケージ=自由時間のサークル活動、図形楽譜で楽しく遊びましょう……演奏者側がそういうイメージを共有しながら演奏会を進めていたような印象を受けたのですが、批評は、いわば原理・原則・筋論的に、そういう思惑みたいなものには敢えて気付かないふりをしてまとめてみました。アメリカは、ヨーロッパからは、若くて青臭い無茶をする国=良くも悪くも万年青年と暗黙のうちに見られているようですが、20世紀アメリカ音楽を「まともな大人」として処遇するとしたらどういうことが言えるか、そんな話になったような気がします。

かなり真面目に書いたつもりなので、よろしければ紙面でご覧くださいませ。

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ところで、アマチュアの世界には、学校のサークル活動のOB/OGブラスバンドorオーケストラというのがありますが、いずみシンフォニエッタには、ちょっとそういうノリがあるのかもしれないなあ、ということを思ったりもしました。隣りに坐っているのが同じ先生のお弟子さんだったり、先生や学校は別でも世代が同じで、経験・キャリアに共通点が多い人たち。そのあたりが、受験で選別された等質な集団としての「学校」の「同窓会」に近い感じを醸し出すのかなあ。そしてそこに受験勉強の再現のようなファーニホウの楽譜が差し出されると、ほとんど条件反射的に学生時代、初見の楽譜を短期間で必死に読んでいた頃の気持ちに戻ってしまう。そういうことだったのかなあ、と。

客席側の30代、40代はそろそろ生活も安定してきて「守り」に入ろうかという時期だと思いますが、音楽家の30代、40代はまだこれから。自分が既に知っているやりかたで器用にこなしていく安定走行に入るのはもったいないメンバーが揃っているグループだと思いますし、この先も、上手にメンバーの人たちの「本気」を引き出す仕掛けを考えていって欲しいものだと思っています。