武智鉄二と関西歌劇団(『民族藝術学会会報』第72号)

民族藝術学会の会報に「研究ノート:武智鉄二と関西歌劇団」という文章を寄稿しました。
実は、昨年の7月に大フィルの60周年記念事業のひとつ「関西の作曲家によるコンサート」(大栗裕「雲水讃」とヴァイオリン協奏曲、松下眞一「星たちの息吹き」、貴志康一「日本組曲)の曲目解説を書かせていただいたときに、大栗裕の遺品(主に自筆譜)を大阪音大が「大栗文庫」として所蔵・管理していることを知りまして、実はそれ以来、少しずつ大栗裕のことを調べていました。

それなら、何か書いてみろ、ということになりまして、学会会報のエッセイ・コーナーに、「研究ノート」としてまとめてみたのがこの文章です。大栗裕自身については、まだ資料を集めつつある段階なので次の機会ということにして、ここでは武智鉄二(大栗裕のデビュー作になったオペラ「赤い陣羽織」と、オペラ第二作「夫婦善哉」を演出した人です)のことを中心に書いています。研究というよりも、「かつてこんな人がいた」、「関西でこんなことが行われていた」と紹介する概説的なエッセイです。

朝比奈隆を劇団長として旗揚げした関西歌劇団は、1950年代後半(昭和30年代前半)に、武智鉄二(歌舞伎界の戦争中からのパトロンで演出家として活躍していた)を顧問に招いて、関西交響楽団(現・大フィル)のホルン奏者だった大栗裕を作曲家に抜擢して(他にも団伊玖磨の「夕鶴」と「きき耳頭巾」、清水脩「修禅寺物語」、石桁真礼生「卒塔婆小町」などを手がけています)、かなり色々なことをやっていました。

当時のことをリアルタイムでご存知な方もいらっしゃるでしょうけれど、私のように四〇代以下だと、初耳なこともあるのではないでしょうか。「三丁目の夕日」とも、「コールタールの力道山」(「監督ばんざい」参照)とも違う昭和30年代の風景ということで、興味をもってくださったかたは、ご一読いただければ。

http://www3.osk.3web.ne.jp/~tsiraisi/musicology/article/takechi-tetsuji200803.html

「研究」としては、自分たちの町の音楽の歴史を記録に留めるのはそれだけでも意味があるとは思いますが、それだけでなく、ただの懐古趣味だけでもない何かを具体的に見つけられたら、と思っています。

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そういえば、大フィルは4月にいずみホールで「赤い陣羽織」を含む「大栗裕の世界」という演奏会をやるんですね。楽しみです。

http://www.osaka-phil.com/schedule/detail.php?d=20080415

先日の大フィル定期(都合で前半の小曽根眞は遅刻して、大植英次指揮の「幻想交響曲」しか聴けなかったのですが)で、ベートーヴェン・チクルスをやり終えて、これからは「大植・大フィル」にしかやれないスタイルを作っていく、その第一歩、という印象を受けました。

一方で、来年度の大フィル定期の「大植以外すべて外国人」というラインナップは、大植さん以外の公演にも独自色を出そうとする思い切った路線ですよね。

昨年の「関西の作曲家」(お客さんは残念ながら少なかったですが)に続いて今度は「大栗裕の世界」ですから、大澤壽人をプッシュしている関西フィルのように、大フィルが「昭和の関西」をもう一つの軸にして色々な曲を再演してくれたりすると、とにかく関西にかぎらず日本の作曲家の曲は一部を除いて再演・録音がまだ圧倒的に少ないですから、聴衆としても、「にわか研究者見習い」(本人は今までやってきたこととのつながり自覚しているのですが周りから見たら唐突ですよね、すみません)としても、ありがたいことだなと思います。