東京藝大的なもの(湯浅譲二、西村朗『未聴の宇宙、作曲の冒険』、森鴎外訳オペラ『オルフエウス』)

[3/27 森鴎外訳「オルフエウス」のあとで入手したヴォーカルスコアについて、最後に追記しました。]

近代日本の洋楽史には、東京藝大の歴史や業績から外れたところで色々面白いことが起きていたようなので、主にそんなことばかり調べていますが、たまには藝大のこと。

未聴の宇宙、作曲の冒険

未聴の宇宙、作曲の冒険

森鷗外訳オペラ オルフエウス 全三幕:グルック作曲 [DVD]

森鷗外訳オペラ オルフエウス 全三幕:グルック作曲 [DVD]

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東京音楽学校がお雇い外国人からドイツ式で音楽を習っていた時代には、在野のブルジョワたち(東芝の大田黒元雄とか、浅田飴の堀内敬三とか)がオペラやフランス系の最新音楽を現地直輸入するオルタナティヴだったようですが、

日仏交感の近代―文学・美術・音楽

日仏交感の近代―文学・美術・音楽

それじゃあ、戦後、池内友次郎が東京藝大を日本のパリ・コンセルヴァトワール化しようとしたときに(国内音大の和声教師の大半が現在では池内系の人たちらしいので、作曲の基礎教育に関しては彼の夢がほぼ実現したと見ていいのでしょうか)、その周囲がどんな風であったのか。

池内門下で「ボクはフランス流には不適合だった」と公言する西村朗さん(アンチ・フランス発言自体がどこかしら「戦略」に思えたりもしますが)と、実験工房は明確にアンチ藝大、アンチ・十二音だったと回想する湯浅穣二さんの対話(十二音技法の研究・導入は、柴田南雄や入野義朗などの諸井三郎門下、「藝大系」との対比で言えば、いわば「東大系」が一番熱心だったみたい)は、そのあたりを想像させて面白かったです。

未聴の宇宙、作曲の冒険

未聴の宇宙、作曲の冒険

証言・現代音楽の歩み (1978年) (講談社文庫)

証言・現代音楽の歩み (1978年) (講談社文庫)

湯浅・西村対談からは離れますが、1950年代に平島正郎先生など、東大美学から音楽評論に参入した方々もいらっしゃって、こちらは、美学芸術学がご専門なので、「芸術作品」概念の重要性(芸術では、作者のメッセージを受容者がダイレクトに受信するのではなく、両者間に「作品」が介在しており、「作品」という審級にこそ、芸術と一般コミュニケーションとの本質的な違いがあるという考え方=「作者の思いがストレートに伝わってくる」式の物言いを批判的に吟味する哲学談義)を強調する傾向があったみたいです。

(コンセルヴァトワール流のエクリチュール教育と十二音・セリーの間では、ひとまず、音楽にどんな素材と技法を使うか、使うことを許すか、要するに無調は是か非かというのが論点。軍用技術が民生化されて普及したテープ編集による具体音や電子音の音楽が出てきて、さらに争点が拡大することになりました。

でも、新しい技法や素材に対して「学校教師」が慎重な態度を示すのはよくある話で、戦後日本特有のことではないですよね。

「作品」論の観点を入れると、これとは別に、音楽のアイデンティティをどこに求めるか、という論点があったかもしれない、とも思えてきます。

フランス流のエクリチュール教育は、(おそらくオペラや劇音楽のように音楽以外のもの(台本など)と音楽の接続を視野に収めているからだと思いますが)、様々な局面における音の具体的な動かし方を仔細に教える一方で、作品の構成、曲の作り方・まとめ方についてはオープンであるようです。(池内友次郎は「作曲は教えられない」と言っていたのだとか。)

本当はシェーンベルクも、十二音を自分自身の使命と考えてはいても、弟子たちへの教育・トレーニングで十二音を教えたわけではないようですが、多くの場合、十二音は「作品の作り方」の指針として研究されました。

西村さんが上記対談本で、コスモロジーから話を切り出したのは、フランス流の教育を受けた者が、曲の作り方・まとめ方についてはオープンなままで世に送り出されるがゆえに、音をいかに世界へ投げ入れるか、世界のどこへどのようにして音を響かせるか、ということが切実な問題になる、ということなのかもしれません。

フランス流は、作曲家への入口としては親切だけれど、世の中へ送り出す出口が不透明。日本のようにオペラ劇場のない国に移植したヒズミがここに出ているような気がします。戦後の世の中を上手に泳ぐ人たちが何人も出てきましたが、それは、教育法がよかったのか、時代がよかったのか、微妙なところだと思います。

他方で、音楽(作品)のアイデンティティという哲学的な問いを注入されてしまったインテリにとっては、十二音技法が、それによって生み出される音響への感覚的な好き嫌いとは別に、音を音楽(作品)として組み立てて制御する新しいアイデアとして注目されたのだろうと思います。

巧妙に音を動かすことができたとしても、それじゃあ何のために作曲するのか。いずれそこで「頭」を悩ませることになるんだったら、最初から全体の設計を「考えて」おこう。諸井門下と東大美学系の発想は、そのような見通しにおいて近かったように思われます。

諸井流ベートーヴェン理解、バルトーク、十二音、民族音楽学的旋法分析……と有望そうな音楽構成理論を次から次へと踏破した柴田南雄はその典型と見ることができそうです。)

作品の哲学

作品の哲学

文学的芸術作品

文学的芸術作品

音楽作品とその同一性の問題

音楽作品とその同一性の問題

池内フランス派の洗練や懇切丁寧な指導(添削)は、全体として見ると、どことなく、高浜虚子「ホトトギス」(「写生」と「花鳥諷詠」)の音楽版といった雰囲気。師匠から弟子へ美意識とわざを伝授する「結社」という感じがしますが(一方、伊福部一門は万葉調益荒男ぶりの「アララギ」でしょうか……)、十二音推進派は、東大の影が見え隠れして思弁的で高学歴。

(松下眞一は、父親の感化で俳句をたしなんでいた文人趣味と、京大系哲学・数学の合わせ技でこうした風土へ食い込んでいった、ということかもしれません。)

吉田秀和を立てて、二十世紀音楽研究所に大同団結したせいで、かえって部外者からは見えにくくなっているけれど、実験工房で文学や美術とコラボするアングラ系と、フランス流エクリチュールのわびさびと、十二音からセリーへ至る音楽的思弁は、背景や依拠する環境がずいぶん違っていたように見えます。

東京も中へ入れば色々なのは、当たり前といえば当たり前ですが、西村朗さん(関西人のようでもあり、藝大アカデミズムの現在形のようでもあり、ジャーナリスティックなようでもあるキメラな人)が触媒になると、そのあたりがうまく解きほぐされるようですね。

(作曲家がこんなに立ち回りが上手でいいのか、と思ったりはしますが。いつの間にか本をたくさん出していますし……。)

クラシックの魔法 スピリチュアル名曲論

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作曲家がゆく 西村朗対話集

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西村朗と吉松隆の クラシック大作曲家診断

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光の雅歌―西村朗の音楽

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もうひとつ、最近偶然入手したのが、森鴎外訳によるグルック「オルフェオとエウリディーチェ」のDVD。

森鷗外訳オペラ オルフエウス 全三幕:グルック作曲 [DVD]

森鷗外訳オペラ オルフエウス 全三幕:グルック作曲 [DVD]

2005年上野奏楽堂での上演で、当時この公演がどんな風に評されたのかよく知らないのですが、一音符一音節の原則で、「な泣きそ」といった擬古文の日本語訳をあてはめて歌うのは、邦訳オペラとしても独特。

原文(ドイツ語版からの和訳でしょうか?)と照合したわけではないので、はっきりしたことはわかりませんが、五七調風なところが見える反面、音節数の少ない語彙を選んで、語順を工夫したり、かなりの力業で音符に当てはめているようにも思えます。

擬古文による歌曲や音楽劇の作例は他にもあるでしょうけれど(たとえばフランス流わびさび派と謡曲は相性が良さそうですし)、森鴎外のスタンスは、擬古文という既存の確立した文体を使っているというより、擬古文をベースにして音楽劇の日本語を新たに創ろうとしている印象を持ちました。

この上演で、音符と言葉の対応関係が、どこまで森鴎外の指定なのか、どれくらい監修者の判断が入っているのか、今は手元にDVDしかないので、わかりませんが、

一般論として、日本語のオペラを書く、というときに、「自然な日本語」と称して台詞芝居や詩・小説の言葉に音を付けようとすると、すぐに困難に突き当たるわけですから、「歌う台詞」を日本語の新領域として開発してしまう発想もアリですよね。

アーチストを標榜する音楽家は新しい音の組み合わせを日々どんどん創作しているのですから、その延長で言葉を新たに創ったっていいはず。森鴎外が生きた明治・大正期には、口語文体が日々刻々と創られていたわけですし。

遡って、伝統的なイタリア・オペラのリブレットの言語特性がどういうもので、18世紀以後のセリアのスタンダートになったメタスタージオはどうなっていて、「オルフェオ」のカルツァビージの場合はどうなのか。

森鴎外は、おそらく、そうしたことを認識していたわけではないでしょうが、オルフェオを擬古文で歌うと、ギリシャ神話が記紀歌謡の世界のように思えてきて、日本で上演する正歌劇、東京藝大にふさわしい「式楽」という雰囲気にはなりますね。(ただし、森鴎外訳は、音楽学校ではなく、本居長世主催の在野団体でのプロジェクトだったそうですが。)

キワモノというのではなくて、東京藝大は、明治の文豪ご謹製の擬古文を朗唱するのがいかにも似つかわしい場所なのかな、と部外者の素朴な感想として、そう思いました。

[3/27 追記]

森鴎外訳「オルフエウス」、紀伊國屋書店から出ているヴォーカル・スコアを入手しました。丁寧な校訂報告も出ていました。

森鴎外訳オペラ オルフェウス/グルック作曲  解説・校訂 瀧井敬子

森鴎外訳オペラ オルフェウス/グルック作曲 解説・校訂 瀧井敬子

森鴎外は、ペータース版の独訳を参照したようで、DVDは「一音符一音節」の訳を謳っていますが、正確に言うと、ドイツ語の一音節を日本語の一音節に対応させる原則で翻訳した、ということのようです。(西欧の歌が一音符一音節なのは、この作品にかぎらず普通のことですし……。)二葉亭四迷がツルゲーネフ「初恋」を句読点の位置まで日本語に移す原則で言文一致を作った逸話を連想させる実験的な創作、ということになるでしょうか。翻訳文自体は、鴎外全集などにも収録されて既知のものらしいですが、翻訳プロセスを具体的に解明したのは、瀧井敬子さんの功績。

西洋風の旋律で一音符一音節を原則として作曲するのは山田耕筰の日本歌曲などにも受け継がれる日本の洋楽のメインストリーム。のちに、オペラでこれをやると間延びする、として團伊玖磨が「夕鶴」で山田耕筰の流儀と決別した、というのは日本のオペラ史の有名なエピソードですから、森鴎外の仕事は、日本語による歌の作曲の歴史の文脈に位置づけることのできるものと言えそうです。

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ただ、具体的に見ていくと、イタリア語のオリジナル・リブレットではなく、独訳からの重訳であることが気になるところではありますね。

第3幕43曲の有名なアリアの歌い出しは、「あな、きみうせぬ、はや」と訳されていて、これはドイツ語が「Ach ich ha-be sie ver-lor-en」の8音節で、瀧井さんの校訂では、「あな」をひとつの音符に割り付けて、ドイツ語との対応が測られています。

あな(Ach) き(ich) | み(ha-) う(-be) せ(sie) ぬ(ver-) | はー(-lor-) や(-en)

でも、そもそもこの独訳が、オリジナルのリブレット(Che farò senza Euridice)とは随分言葉が違っていますね。

Che fa- | rò sen- za Eu- ri- | di- ce

グルックの旋律は、後半で「ソ〜ド ドシシ」と盛り上がりますが、ここがオリジナルのイタリア語では、「Eu-ri-di-ce」と失った妻の名を語る箇所です。独訳のように、妻が名前で呼ばれるのでなく「sie」と代名詞に変えられてしまうと、どうしてここでメロディーが盛り上がるのか、よくわかりませんし、森鴎外の「うせぬはや」も、この言葉から旋律的な高ぶりを歌手が引き出すのは難しそう。

ちなみに、全集にもとづくベーレンライター版では、独訳(Hans Swarowsky)がイタリア語の直訳に近く「Ach wo- | hin oh- ne Eu- ri- | di- ke?」となっています。

(sieが鴎外版の楽譜では小文字ですが、森鴎外の「きみ」は、これを二人称敬称と解釈したのでしょうか。二人称敬称を現在のドイツ語ではSieと大文字で綴るのが普通ですが、ここはペータース版が小文字なのか、だとしたらこの語はどう訳すのが直訳的に適切なのか……。

ペータース版の独訳テクストの品質をオリジナルのイタリア語と比較するところまで遡ると、オペラ論としてはさらに面白くなりそうですが、議論が複雑にはなりそうですね。

オペラを訳詞で上演するのは、別に日本だけのことではないわけですが、訳詞全般を視野に入れつつ日本のオペラにおける訳詞を論じるのは、これからの課題なのでしょうね。他のアジア諸国ではどうやっているのか、ヨーロッパのなかでも言語系統が違うハンガリーやフィンランドではどうしているのか等々、面白そうなテーマですが、調べるのが大変そうではありますね。)

森鴎外訳の上演で、擬古文の日本語がドラマチックというより、式楽風に詠み上げられている感じがするのは、音楽と朗唱が言葉のリズムの水準で接続されていて、鴎外の考案した日本語が、旋律的な抑揚に届いていないからなのかもしれません。

一音符一音節の原則で「歌う日本語」(音節数を浪費しないような)を考案する試み自体は、ありうるやり方だとは思うのですが……、独訳から出発したのは痛い判断ミスだったかも。森鴎外に翻訳を依頼した本居長世は、鴎外訳をどう思っていたのでしょう。

でもいずれにしても、三浦(柴田)環が出演した「オルフェオ」公演や小松耕輔の「羽衣」などの明治末東京音楽学校のオペラ試演から派生して、帝劇ローシーオペラや浅草オペラの前にも、色々な動きがあったようで。それは面白いことだなと思います。