音楽学・ソルフェージュ・音楽理論(清く正しい音楽学会を創ったのは誰か?:補遺)

[8/19 意外に読んでいただいてるようなので、真ん中に一部加筆。]

「楽理」という言葉を「音楽の理論とそれを用いた分析」のような意味で使う例があることを知り、ちょっと考え込んでしまいました。

藝大に1949年に「楽理科」ができる以前に、日本語で「楽理」の語がどう使われていたのか私はよく知りませんが、少なくとも前のエントリーで音楽学会の黎明期の歴史を整理していたときには、1949年の楽理科開設と1952年の音楽学会創立を一連の出来事とみなして、「楽理=音楽学musicology」の意味で、私はこの言葉を使っていました。

20世紀半ば頃の音楽研究は、音楽に関する諸理論(和声・対位法・形式学・楽器法・ジャンル論など)を横断的・総合的に駆使した作品分析という方法を整備しつつあった時期ですから、「楽理」と「音楽理論、もしくはそれを用いた分析」がイコールではないにしても、両者の結びつきは、それほど不自然ではなかったような気がします。

(もしかすると、20世紀半ばにさかんだった作品分析は、文学論で言うニュー・クリティシズムに対応していたのかもしれませんね。私が大学で音楽学を勉強しようと決めたときに、一番やりたかったのも、そういう具体的な作品分析でした。)

でも、テクストの解読・分析の方法論が整備されるにつれて、人文学一般で、テクスト(もしくはその読み)を成立させるコンテクスト(文脈)への配慮が重視されるようになって、それは、(やや俗流の理解だと思いますが)大まかに「構造主義からポスト構造主義へ」というスローガンともリンクしていたように思います。

[以下、8/19加筆]

(あと、分析の有効性をデモンストレートするには、対象が有名であったり、歴史的に重要であるほうが効果的なわけですが、そういう「分析のやり甲斐のある作品」の数は限られています。ひとしきり分析して「ネタギレ」になった、という事情もあると思います。文学研究におけるテクスト論や、美術のイコノロジー研究、映画のショット分析やテマティズムにも似た事情がありそうですね。ひとしきり分析が行き渡ると「陳腐化」して、慣れた人なら、この時代のこの人のこの作品だったら、だいたいこういう結果が出るだろう、と、具体的に分析しなくても目星がつくようになってしまいそうです。

もちろんそういう風に「陳腐」な「常識」になったとしても、それを身につけている人と、身につけていないボンクラの差異がなくなるわけではなくて、分析できる人かどうかということは、書いているものを読んだら、だいたいわかりますよね。ちゃんと分析ができていたら、そこをそういう風には言わないだろう、というようなことが起きる。(その人の書いた物をそこまでちゃんと読んでいるわけではなく、山勘ですが、たとえば、佐々木敦という人は、最近色々言っているけれど、自分で音楽を分析することができない人なんじゃないかと、わたくしは疑っています。)

ある国で生活した人と、文物として情報を仕入れてエミュレートする人を見分けることができるか、みたいな話と、これは似ているかもしれませんね。

日本の近代は、西洋から色々なものを輸入するのが基本になっていて、その過程で、ほぼ不可避的に、「これだけ情報があれば、もう現地へ行かなくても大丈夫。むしろ、現地へ行かない方がいいのだ」という居直りを定期的に発症するようです。この居直りを一般化すると、「何かを実行しなくても、実行結果の情報収集だけでいい、むしろ、そのほうがいいのだ」ということになる。そしてこのタイプがわいて出てきたら、だいたいその分野は知的不活性に陥る。土地が痩せて、作物が育たなくなるようなものですね。こういう状態は、どうしたって周期的にやってくるので、しばらく別のことをやらないと仕方がないのだと思います。そこから先に出てくる「何か」は、さしあたり、学問ではなく、日本の風土がその現象をどのように咀嚼・ローカライズするかという文化実践の領分なのだと思います。それはそれで興味深いことなので、距離を置いて、暖かく見守るしかない。そこまで「管理」するのは学問の越権でしょう。

戦後の日本の音楽学(音楽大学の研究部門)に「やりすぎ」があったとしたら、そのような音楽文化の「生活指導」に(音楽之友社のような元国策出版社&文部省あたりと手を組み)直接・間接に手を出してしまったことなのではないでしょうか? 渡辺裕や岡田暁生が屈折しているのは、彼らが、幼年期に受けた音楽における「生活指導」へのトラウマから癒えていない世代だからじゃないかと思います。彼らはこれが明治以来の、あるいは世界史的に見てフランス革命以来の「近代の宿痾」であるかの如く学問っぽい大げさな言い方をするけれど、おそらく彼らの根にあるのは、昭和の「音楽の先生」がボクちゃん(←お勉強ができる優等生でプライド高し)の心を深刻に圧迫したことへの私怨だと思います。(そして、頭の良い理性的な判断ができるはずの人たちを、どうにかしてできるだけ大げさな理由付けをしようとする誇大妄想へ駆り立てるところが、トラウマの怖さなのだろうと思います。)

その種の、子供にトラウマを植え付ける「音楽の生活指導」は「のだめカンタービレ」にすら出てくるので、まだ、根絶されたわけではないのかもしれませんが、私自身は、幸か不幸か、そんな風に「音楽の先生」から心を折られたことはありません。(^^) 「音楽の先生」に心を折られてしまったインテリの底知れぬ怨念の強さに、正体不明の恐怖を植え付けられそうになって難儀したことは何度かありますが……。)

[加筆おわり]

それで、学問としての音楽学としては、諸々のコンテクストに着目する音楽の[歴史学|社会学|人類学|メディア論|ディスクール分析]等々というのを従来の音楽学の周囲に増設して、いつのまにか、音楽のテクスト(ひとまず楽譜をイメージすればいいでしょうか)をコツコツ分析・解読するのはオールド・ファッションだ、というような、ドーナツ化現象が起きているのかもしれません。

ドイツでは、その種の音楽学の拡張をやりつつ、「Musiktheorie(音楽理論)」の歴史等々を整理する、という一種の「メタ」な仕事を音楽学者が平行してやっていたように思うのですが、そういう動きが日本に本格的に伝えられた形跡はないですね。

音楽理論を整備・吟味して、その成果を現実の音楽に適用する仕事は、十分に音楽学の一領域になりうるはずなのだけれども、一般大学の社会学や人文学に軸足を置くタイプの音楽学者の中には、この領域に無関心であったり、ときには、そういうことをコンプレックスの裏返しで敵視する人までいるようです。

むしろ東京藝大では、パリの高等音楽院へ行ってソルフェージュを習得した野平一郎、小鍛冶邦隆といった人達が、作曲学科内のソルフェージュ科の再構築という形で、ドーナッツの真ん中の空洞化した部分へアプローチしようとしている印象を受けます。(藝大の中がどうなっているのか知りませんが、両先生がそうすべきだと積極的にアピールしていらっしゃる声だけが、いくつかの本や発言を通じて、外にいる我々に聞こえているように思います。)

ある「完全な音楽家」の肖像―マダム・ピュイグ=ロジェが日本に遺したもの

ある「完全な音楽家」の肖像―マダム・ピュイグ=ロジェが日本に遺したもの

たしかに、渡辺裕や岡田暁生の書いた物を作曲家が読んだら、音楽学の弱点はここだ、という風に目星を付けることになるだろうと思います。(彼らの背後には、楽譜に対するコンプレックスを大樹の陰で癒そうとする群が連なっていそうな気がしますし……。)

音楽理論と音楽分析をソルフェージュの一領域に取り込もうという提案は、そうした日本の音楽学の困った内部事情を、意識的なのか無意識的なのか、巧妙に突く戦術になっていると言えそうですし、「楽理」という言葉が、音楽学を指すのか、音楽の理論と分析を指すのか、意味が揺れた感じになっているのは、そんな現状ゆえなのかもしれませんね。

でも、一方で、音楽学者が中心になって「楽譜の読み方」の本が編纂されたりもしています。こういう本は、出て当然だと思います。

楽譜を読む本 ~感動を生み出す記号たち~

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小鍛冶さんの本に音楽学者が妙な縄張り意識から文句をつける、というような了見の狭いことをやっていないで、作曲と音楽学の両方が重なる共有地のような領域と考えればいいんじゃないか、と私は思うのですが……。

現実は、そういう風な「和」と協力よりも、取れるものは奪い取る「競争原理」のほうが、今もまだ、より強く作用しそうな気配なのでしょうか? そんなことをしたら、音楽学者が負けるのは目に見えているのだから、楽譜を敵視するかのような強がりを、いいかげん、やめたほうがいいんじゃないか、それでは結局損をするばかりじゃないか、と思うのですけれど。