大阪市長の「離婚裁判」型文化行政

[注:市長さんは二つを同列にしたほうが自分に有利にことが運ぶと考えていらっしゃるようですが、文楽協会と大阪フィルハーモニー協会は、状況も大阪市との関係での論点も全く別であることが明らかになりつつあるように認識しています。ごっちゃしたまま話をされると論点がぼけると思いますので、文楽協会を問題視したい方は、別途、存分にやってください。]

文楽のあり方等に関する市長・特別顧問・特別参与のメール(3月15日〜6月18日)のやりとりを取りまとめました。なお、大阪市の情報公開条例に規定する非公開情報は、●●●●と表記しています。また、メールの原文は6月29日以降に大阪市役所1階市民情報プラザに配架します。

http://www.city.osaka.lg.jp/yutoritomidori/page/0000174249.html

というのを読んでみました。

関連して、大阪フィル側は、「大阪市「市政改革プラン」に関する大阪フィル補助金に関しまして」という文章を出していますね。

今後は、自立に向けた経営努力をさらにスピード感をもって加速させなくてはなりません。
前述しました「強い大阪フィルを目指す成長戦略」の骨子は、

  • (1)さらなる増収対策----公演の魅力を高める、公演数を増やす、入場者数アップ、会費・寄付金収入増など
  • (2)良い音楽を生み出す基盤整備----音楽監督・コンサートマスターの体制整備、トップレベルの優秀な楽団員の継続的な採用・育成など
  • (3)価値を提供しうる社会貢献-----都市魅力戦略への音楽を通じた参画、次世代のトップレベルの音楽家の担い手育成など

を基本線としており、これらの取り組みを協会全員が一致結束して、知恵を絞り、汗をかきながら、スピード感をもって取り組んでゆきたいと考えています。

大阪フィルニュース : 大阪フィルハーモニー交響楽団 - Osaka Philharmonic Orchestra

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市長と特別顧問、特別参与のメールのやりとり、というのを見ていると、文楽のしくみがなるほど複雑なことになっているらしいことがわかって、ただしここで議論されている「養成費」については、市側に事実誤認があるらしいとの報道もありつつ、協会事務局長が突然辞任したり大変なことになっているようで……、

http://sankei.jp.msn.com/smp/west/west_affairs/news/120630/waf12063013200019-s.htm

オーケストラの経営については、「マッキンゼー」な池末浩規氏があれこれ分析なさったようで、なるほど大変そうだな、と思ったりしました。

(大阪フィルは、「関西で唯一の四管編成」という看板を掲げているのだけれども、実際には欠員を補充しないままの状態が続いていることは演奏会でメンバー表を見ればすぐにわかることですが、現状で増員したら、東フィルのように、A組とB組に分かれて同時に複数の仕事を取る、みたいなことをやれと、経営指導されてしまいそうですね。^^;;

関西交響楽団時代には、京都の撮影所と契約して実際に、コンサートのあと、深夜に京都で映画音楽の録音、というようなことがあったらしいですが、結局それでは肝心のコンサートに集中できなくて、何やってるのかわからなくなるから止めて、演奏環境を整える方向を目指して今日に至るわけですから、「もっと仕事を取れ」、薄利多売せよ、と言われても、単純にそれで解決するというようなことではないのだろうと思います。

大阪フィルが薄利多売に乗り出したら、安くて小回りが効くことを売りにしている他の団体と競合することになるわけで、他の団体をつぶしてでも生き残れ、みたいなことを大阪市にけしかけられてもなあ……、という気がします。それは、借金返さんのやったら、風呂へ沈んでもらいましょか、と言うナニワのヤミ金融の恫喝だ。^^;;)

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今の市長さんは、しばしば、競争原理が働く方向へ物事を誘導するのでネオリベ型の、既得権益にメスを入れる「維新」だ、ということになっているのだと思うのですが、考えてみたら、大阪フィルのようなもとから民間である団体に対して、しかもこれから助成を打ち切ろうとしているときに、内情をこと細かに調べて、ああしろ、こうしろ、と「指導」するのは、なんだか妙な話ではありますね。

補助金をもらってしまったばっかりに経営状態をすべて把握されて丸裸にされてしまう、というのでは、自治体からお金をもらうことがイメージダウンになりかねない、そんな面倒なお金を受け取るのは、こっちの方からお断りだ、みたいなことにもなりそうです(笑)。

で、考えてみたら、ことの順序としては、そっちが本線だったはずなんですよね。

つまり、自治体の財政が極端に悪化しているから、削れるところは削りたい、というのが先にあって、補助金の見直しはそこから来ていたはずです。で、問答無用でカットすると文句が出るので、相手が反論できないリクツを考えるためにたくさんの優秀な特別顧問や特別参与が召還されて、メールのやりとりのような綿密な「調査」がなされたのだと思います。

結局これって、タイトルに書いたように、離婚裁判みたいなものなんですよね。

「伝統芸能」や「芸術」とは縁を切りたいのだけれど、うかつに離婚を切り出して慰謝料を請求されたら困るので、相手が一方的に悪いのだ、という風に論陣を張り、証拠を並べたてる。そして、万が一相手から逆に慰謝料や養育費を取れたら、自分の名声があがって一石二鳥(=「成功事例」を手みやげに国政へ打ってでる可能性が高まり、ラッキー!)。やり方が、いかにも凄腕弁護士だなあと思います。

離婚というのは結婚の何倍も疲れるものであると言われているらしいですが(結婚すらしたことがないのでまったくの聞きかじりです)、大阪フィル様におかれましては、御苦労なことだと思います。相手に復縁の意志がないのはほぼ明らかなのですから、深手を負う前に見切りをつけて、シングルマザーへの道=「自立に向けた経営努力」を宣言されたのは、賢い選択のような気がしました。

自立さえしてしまえば、「都市魅力」などという妙な日本語と関わり合いになることもなく、汗をかこうがかくまいが、つべこべ言われる筋合いはなく、かえって身軽になるんじゃないかと思いました。

大阪市担当チームな方々は、今は相手を論破することにアドレナリンが出まくっている感じですけれど、本当に離婚してしまうと、いずれ独り身の寂しさのようなものが染みてきて、「愛されない行政」を考え直すときが来るかもしれませんし(笑)。

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それにしても、「都市魅力」というのは変な言葉ですね。

大阪市の特別顧問の橋爪紳也さんが、兄の節也氏とともに、それこそ、大大阪の「都市魅力」に取り憑かれた人なのは承知していますが、

絵はがきで読む大大阪

絵はがきで読む大大阪

映画「大大阪」観光の世界‐昭和12年のモダン都市‐ (大阪大学総合学術博物館叢書4)

映画「大大阪」観光の世界‐昭和12年のモダン都市‐ (大阪大学総合学術博物館叢書4)

兄弟で似たような本をお出しになるので、どっちがどっちかややこしくて……、
大阪の橋ものがたり

大阪の橋ものがたり

しかも、橋下徹市長の周りには、特別顧問の橋爪紳也、特別参与の橋本裕之、と、やたらに「橋」がたくさんいらっしゃいますね。
都市大阪 文学の風景

都市大阪 文学の風景

大阪の文学を論じたのは橋本寛之(はしもと ひろゆき)先生で、一方、冒頭のメールのやりとりで文楽のことにも言及していらっしゃる大阪市特別参与の橋本裕之氏は、追手門学院地域文化創造機構特別教授なのだとか。

でも、夜の赤い灯青い灯に虫が群がるような状態を自己目的化して追求するのは、失礼ながら、ちょっと病んでいるのではないか、と思ってしまいます。(「東洋のバルトーク」や「大阪主義」を前面に打ち出すことで、大栗裕は「都市魅力」のコンテンツになりうる、みたいに評価されることになるのでしょうか?)

甘い密のようなものをたっぷり塗れば、たしかに、会場の入口まで足を運んでくださるお客様の数を増やすことが可能なのかもしれない、とは思います。会場の中や舞台の上にも、たくさんのアトラクションを用意することは不可能ではないかもしれません。

でも、洋楽も文楽も、パフォーマンスの本体は、本質的に「なんだかよくわからないもの」だと思うのです。この種の芸能は、西洋でも日本でも、経営の専門家な方々が得意としていらっしゃるような資本主義が全面展開するより前から続いているものですし、劇場とかコンサートホールにおける現行の興行形態は、前近代的な芸能が生き延びるための「とりあえずの姿」に過ぎないと思うんですよね。

だから、目下「離婚裁判」を係争中であるところの大阪市に対しては、「強い大阪フィルを目指す成長戦略」を言い返す、ということでいいのだとは思いますが、「なんだかよくわからないもの」であるところの舞台パフォーマンスの価値を認めて、支援してくださっているお客様に対しては、むしろこれまで以上に、音楽の古典とは何なのか、というような高邁な話を上手に伝えなければいけないんじゃないか。

なぜこのコンサートをやるのか、という説明や実際の舞台が「経営の用語」にすべて還元できる状態になってしまったら、たぶん、オーケストラはダメになるんだろうと思います。

冷静なお金の計算と、音楽の善し悪しを率直に語る言葉と、両方が要るんでしょうね。当たり前の話ではありますが……。

[補足]

舞台パフォーマンスは、稽古を含めて数日間、オペラ新作のような大掛かりなものになると数週間(以上)、何十人もの高度な「技芸保持者」(切り売りしたほうがさらに収益があがる可能性があるような)を同じ時刻・場所に一定時間拘束しなければなりません。基本のところで、効率的なマネジメントに限界がある業態なのだと言えるように思います。

緻密なコスト計算とスケジューリングでやりくりするテレビ・タレントのマネジメント(市長さんが文化・芸能を語るときにご自身の経験・見聞を踏まえた暗黙のモデルにしていらっしゃるような)から学ぶところがないわけではないけれども、大きく違うところがあることは認めておかねば仕方がない。

(舞台パフォーマンスは、映画やテレビのように細切れに撮ったフィルムを編集でつなぐトリックが使えませんから。)

こういう、資本主義下における暴挙のような「わけのわからない儀礼」(芸能・芸術の「わけのわからなさ」はそれだけに集約できるわけではないでしょうが)をどうすれば維持できるか、せちがらい世の中に意味づけることができるか、ということに関係者は智恵を絞っているわけで、最初っから、「大勝利」があり得ないことを承知のうえでやっている業界なのだと思います。

(そのような、資本主義の観点から見て利益の少ない職種に、それでも一生を掛けようと思ったらそれなりの覚悟が要るわけで、その、何か途方もないことをこらえている感じが、もしかすると、事情を知らない人たちには「不遜」に見えるのかもしれませんね。

そしてそこに、様々な歴史的経緯から通常の商売とは違う形でのお金の流れがあることを知ってしまうと、彼らのどこか不遜な感じ、得体の知れないプライドと、そうした異例なお金の流れを結びつけて、「奴らは既得権にあぐらをかいている」というイメージが形成されるのだと思います。

こういうのを、ゲスの勘ぐり、俗情、と言うわけですが、これはもうしょうがないですね。「芸能・芸術の本質は教養だ」とは思いませんが、芸能・芸術がどういう風に成り立っているのか、ということに対する理解が乏しいところに、こういうゲスの勘ぐりが発生するのだろう、と診断せざるを得ないような気がします。憤ったりするよりも、嘆息するべき事態ですよねえ……。折に触れ、辛抱強く説明しないとしょうがないのでしょう。)

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で、芸能・芸術興行のお客さんというのは、このご時世に、そんな資本主義的でない暴挙が本当に実現するのか、ダメモトで、ひとつ観に行ってやろう、と半身で、半ば「共犯者」のようなつもりで面白がりながら会場へ足を運ぶのが、「通」というものなのだろうと思います。

「お客様は神様」なのであって、対価に見合って品質保証された商品を手にする権利がある、みたいな姿勢だと、そもそも舞台パフォーマンスというのは、お客さんがいったい何を買っているのか、実はよくわからないですし(チケット料金というのは座席の対価なのか、「作品」を鑑賞する権利なのか、出演者の技芸を間近に目撃するスペクタクル体験の料金なのか……)、たぶん、それでは、いつまで経っても居心地が悪いだろうと思います。

慣れないお客様の戸惑いを減らす手引きとして、チラシやパンフレットに情報を載せはするわけですが、実際に舞台で何が起きるか、はじまってみないとわからないところが原理的に残りますから、「見どころ・聴きどころはこれこれです」と誘導するのは、当たるも八卦・当たらぬも八卦の無責任な予想屋の駄弁以上のものにはなり得ません。

今は、主催者自身が積極的に広報・情報発信をするべし、という風潮になっていますが、それは、胴元が予想屋を兼ねるようなもので、「親」が絶対負けない詐欺スレスレの悪徳カジノみたいなことになる危険を引き受ける恐い選択だと、私は思うんですよね。

(主催者の言ったとおりを報道すれば責任回避できるので、メディアにとってはそのほうが「ラクチン」だ、というわけで、広報・情報発信に熱心な個人・団体ほどマスコミのウケがいい、という危険な構造が常態になりつつあるのも、恐いところです。)

経営コンサルタントというような人たちは、定期的に売り込みをかけて、「こうすれば儲かりますよ」と、だいたい、そういう方向のプランを提示するわけですが、普通そういうのは、長い目でみると、乗っかる方が信用を失ってバカを見る。

毎日とどこおりなく興行が成り立つこと自体が奇跡みたいなもので、オーケストラの関係者が、「都市魅力」とか、そういう暇人の道楽みたいな付加価値談義につきあっている時間と余裕があるとは思えないのですが、それでも敢えて、相手の提案に乗ったかのように「強い大フィル」宣言をしてみせた大阪フィルは、本当にギリギリのところで折衝しているんだろうなあ、と思います。