秀吉の手袋から府市二重行政の行政史的解説まで、ちゃんと読んでおきたい大阪の本

三谷幸喜「清洲会議」の秀吉(大泉洋)は、人前では必ず手袋をはめています。

河原ノ者・非人・秀吉

河原ノ者・非人・秀吉

東島誠が與那覇潤との対談本のなかで、秀吉の身分について触れて(121頁)、注でこの本を紹介して、古くは石井進の遺著にも言及がある、と言っていますね。

中世のかたち   日本の中世〈1〉

中世のかたち 日本の中世〈1〉

日本の起源 (atプラス叢書05)

日本の起源 (atプラス叢書05)

三谷幸喜の映画では、特にこの件については誰も何も言わないですが、織田家家臣団は何十年も一緒にやってきて、秀吉がどこから出てきて、どう出世したのか知っているのだから、何も言わないとしても不自然ではない。

作中で一番力の入った場面のひとつと思われる長回しのある夜の次の朝、1度だけ秀吉の「手」に観客の視線が行くような演出があるのみですね。(この件については、パンフレットで三谷幸喜も言及しているので、考えた末の演出と思われます。お芝居は nonverbal 重要。もはや武士というより「お公家さん」な感じの織田家の人々と、戦場から戻ってきた家臣たちと、百姓でどんちゃん騒ぎが得意な藤吉郎一族が同じ城のなかにいるから、色々なシーンができるんですよね。)

[……と書いて、verbal って何だ、語源に遡って verbum から word と verb が派生しているので、ひとまず「言葉」だけれども、nonverbal なやりとりを language (lingua = 舌、から派生している)と呼ぶか、そう呼んでしまうややこしさを避けて communication (communis/comoine = 共有が語源)と呼ぶか、立ち止まって考えてしまいたくなってしまいますが、それはまた別の機会に。]

十八代目中村勘三郎 全軌跡

十八代目中村勘三郎 全軌跡

そういえば、今の勘九郎さんの声がお父さんそっくりでドキッとする場面もある。

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で、そんな秀吉が城を築いた大阪(大坂)の江戸時代の非人の実態をまとめた本が出て、

大坂の非人: 乞食・四天王寺・転びキリシタン (ちくま新書)

大坂の非人: 乞食・四天王寺・転びキリシタン (ちくま新書)

「この本の著者には一般向けの新書を書く能力がない」との評を見かけましたが、このテーマは、わかりやすく要約する前に、ひとつずつ史料から拾い出した事実を積み上げるのが大事と思う。研究の集大成感のある堅実な記述。

明治以後の大阪の行政史、というか、逆に、日本の行政史のなかで「都市」がどう位置づけられてきたか、その「急所」として大阪を見る論考も出ていて、これはゼロ年代以来もてはやされてきた「ワンフレーズ・ポリティクス」では片付かない案件だと色々考える。

なんとなく曖昧にスルーしてきたことを落ち着いて考える土台ができつつあるのかな、という気がします。

大阪―大都市は国家を超えるか (中公新書)

大阪―大都市は国家を超えるか (中公新書)

前に本屋で見かけたときには、帯に市長の写真が使ってあったことに嫌悪感があり、目次は面白そうだったのだけれども買わなかったのですが、

http://www.suntory.co.jp/news/2013/11913-2.html#sunahara

サントリー学芸賞の選評は力強くて、これを読むと買おうという気になる。

(大阪市立大学は、大阪市立大学という名前で残って欲しいよなあ、と思う。梅棹忠夫も作曲家の松下眞一もこの大学の先生をしていて、こういう著名だけれども「普通の大学教員」ではなかっただろう人たちが在籍できた事実を含めて、そこが大学のカラーだったんだろうと思うんですよね。(とりあえずは京大系の人脈があった、というだけのことかもしれないですけれど……。))