ソナタ形式の理論

現行の通俗的なソナタ形式の理論は、ハイドンやベートーヴェンが預かり知らないところで後世19世紀以後の音楽愛好家や理論家が作りあげたもので、たとえば、そもそも18世紀末や19世紀初頭にはソナタの冒頭楽章の構成を「三つ部分」に分けて捉える考え方すら盤石に定着していたとは言えない。通俗的なソナタ形式の理論が広まった時代に育ったマーラーやリヒャルト・シュトラウスを分析して、論じるときには、この枠組が一定の役に立つだろうけれど(たとえば、院生時代に岡田暁生が勉強会を主宰したときに、彼は、「死と変容」でシュトラウスが愚直なまでに弁証法をやろうとしている、と分析していたけれど)、ハイドンやベートーヴェンを視野に入れて「ソナタの弁証法」を語るのは、たぶん無理筋だろうと思う。

(そのような理論の枠組では、ウェーバーやシューベルトのソナタ・交響曲・室内楽を分析しようとしてもお手上げ状態になると思います。)

おそらく、音楽理論史の定説はそのようなあたりに落ち着いているはずだと私は理解しているのですが、こういう七面倒くさい議論は、今の現役の音楽研究者には継承されていないのでしょうか。

舞踊と文明

音楽学が万能ではないのは当然で、近代の作家作品研究は、ほぼ美術史の発想や方法を借りて整備されているし、このやり方では器楽の自立、いわゆる絶対音楽が有利になりすぎるという批判には、詩歌・演劇・物語を取り扱う文学研究を参考にして、歌やドラマや物語を扱う枠組みで対応しているに過ぎないと思う。言語論的転回を踏まえた音楽記号論、表象文化論、聴覚文化論というのも、音楽研究の現場の対処は、この枠組みを大きく超えるものではないようにおもいます。

舞踊は、人が身体をいかに制御編成してきたか、という人類学的な問いを指し示してはいるけれど、舞曲論、音楽と舞踊の関係の整理というふうに問いを限定するとしたら、そうした西欧の都市文明の自意識、自己省察の成果の蓄積から出発するしかなさそうだ、という認識にたどりつきつつある。

何が言いたいかというと、舞踊が舞台化されてバレエという姿で興行が定着したり、鑑賞用の音楽作品としてジャンル・様式が確立すると、劇場や音楽という文明に登録されたシステムの作法にしたがって姿形がはっきりするのだけれど、その源泉になっているとされる舞踊そのものについては、文献や図像やそこで使用されたとされる楽曲が断片的に残っているだけで、途端に姿形が不明瞭になることが多いみたいなんですよね。(バロック・ダンスの舞踏譜とされるものも、多くは舞台化された振付の記録ですよね。)

舞踏それ自体は後世に残らず、その痕跡や派生物だけが残る。行為・パフォーマンスとはそういうものだ、とも言えるけれど、行為・パフォーマンスをそのような位置に留め置くのが西欧の文明の形なのかなあ、という気がしてきます。

(所作を芸能として熱心に伝承する文化・文明というのもあるわけですから、それとの対比で、西欧さんは、行為・パフォーマンスの取り扱いに特徴がある、ということのような気がします。)

しかし他方で、現在、舞踊やスポーツに強い関心が持たれているのは、先方がそれ自体は消えていくものだと思ってやっている行為・パフォーマンスを、習得・伝承可能な何かだと思い込んでいるからではないか、という感触がある。

音楽の演奏(のスタイルや技法)についても似たような物象化を感じるところはありますが、バレエに代表されるダンスを習得・伝承しようとする人たちの確信の強さ、身体化された技法の脆さや歴史性を認めようとしない態度は、結構、「岩盤」感がありますね。

あの「岩盤」な確信は、行為・パフォーマンスの日本特有の態度・取り扱いではないかという気がするのですが、どうなんでしょう。

Robert le diable

名前は有名で、音源は前から持っているが、ようやく人に説明するときに使えそうな映像が見つかった。マイヤベーアのグラントペラは本当に復権しつつあるようですね。

ただし今回は、オペラ史ではなく舞曲史・バレエの歴史の説明で使います。

隔年開講の舞曲史という授業を受け持つようになって3回目、6年前の学生さんはもう大学院も終了していて、なかにはいよいよオペラの本公演に出る人もいるようですが、回を重ねるごとに学生さんの関心も本格的になってきて、クラシック音楽と呼ばれるジャンルへの関心の力点が、劇場や舞踊を視野に入れて、急速に変化しつつあるのかなあと思ったりします。

名前は有名だけれど稀にしか上演されない(されなかった)舞台作品はたくさんあって、オペラや劇場の研究は、八方手を尽くして資料を集めて、貴重な上演があれば世界中どこであっても飛んでいく覚悟がないとできないわけで、だからこそ、岡田暁生が「封建体質」と呼んだ気風が残るのだろうと思う。実際にそれを見た人間が圧倒的に強くて、見た人がこれはこうだ、と言ったら、周りはそういうものかと思うしかないところがある。

(たとえば、関根礼子が資料やデータの読み方を間違えて、修禅寺物語が1952年に放送で初演された、と書いたら、それが踏襲されてしまう。誰も見ていないし、資料も持っていないですからですね。)

いわゆる「情報化」で、確実に緩和されて、誰かが情報を独占して大名になれる分野ではなくなっていくだろうと思いたいところだが、はたしてどうなることか。

(マスカーニのイリスも、マイヤベーアの悪魔ロベールも、実際にどういう作品なのか調べて、聴いて、ながめてみたら、歴代のオペラ大名が言っているより、ずっと面白そうなんですけどねえ。)

落ち穂拾い

時間がないので、いくつかの思いつきを短くメモ。

(1) ロジェストヴェンスキーのブルックナー

ブルックナーの5番を色々な演奏でまとめて聴く、ということをやるとしたら、シャルク版が面白かろうと思うのだが、どうして正面切って面白がる人がいないのだろう。何に遠慮があるのかしら。

(あと、マスカーニの「イリス」はあからさまにイタリア・オペラのなかのワグネリズムだと思うのだが、人はどうして、ヴェルディの晩年のワグネリズムばかりを強調して、マスカーニのワグネリズムを軽く見るのだろう。ワグネリズムは男たちの高潔な絆だから、シェークスピアに援用するのは大歓迎だが、異国趣味やフジヤマ、ゲイシャと組み合わせてはならない、女の話にワグネリズムなど生意気である、みたいなことなのだろうか? 関西二期会の舞台公演をみながら、この作品を2008年(東京)、2011年(京都)としつこく演奏した井上道義は、やっぱり「世間より少し早すぎる」人なんだなあ、と思った。めちゃくちゃ面白い作品じゃないですか。「蝶々夫人」や「トゥーランドット」より前の作品なのに、コルンゴルト「死の都」と似た感触の場面すらあるし。)

(2) ピアノの暗唱

鍵盤楽器は、リサイタルが登場するまで、自分で譜面を読みながら弾く読書に似た「読譜」音楽だっただろう、ということを前から思っているが、同時に、一度読んだ/弾いたことのある曲を(完全に正確ではないとしても)記憶して、暗唱する楽しみ、というのがあるように思う。実際、鍵盤音楽に関していいレクチャーをやる人たちは、しばしば、いちいち楽譜を見ないで、説明しながらその箇所を自分で弾きますよね。それは、クララ・シューマンが弟子達に強く薦めたと伝えられる「コンサートにおける暗譜」とは別の体験で、詩や物語の一節を暗唱するのに似ていると思う。「コンサートにおける暗譜」は、むしろ、そうした「ピアノの暗唱」と対立する文化かもしれない。

たとえば、「コンサートにおける暗譜」は一曲一曲を特定して分離するが、「ピアノの暗唱」は、ある作品を弾きながら記憶のなかで連想を呼びさます。ベートーヴェン/シューベルトの時代の「ピアノによる模倣」の楽しみは、そうした、「ピアノの暗唱」と連動することで豊かな広がりを実現したのではないかと思う。

(パリでのジャンケレヴィッチの講義はそういうものだった、とか、ミュンヘンでのゲオルギアーデスがそうだった、という話が伝わっているが、私の身近では、谷村晃や岡田暁生は楽譜を見ないとピアノを弾けない人だった。私は、さわりだけだったら、すぐに授業でパラパラ弾いてしまうのだが、日本には、そういうのはお行儀が悪い、とか、本場の大家にだけ許される神業である、とか、妙な思い込みがあるのだろうか。

でも、北米のバーンスタインやチャールズ・ローゼンはピアノをパラパラ弾きながらレクチャーしますよね。ピアノという楽器は、記憶をたよりに多少不正確でもどんどん「暗唱」しちゃえばいいのに、と私は思う。)

(3) ワルツは舞踏譜に書けない

ボーシャン/フイエやラモーの舞踏譜が残っているおかげで、今日のバロック・ダンスの隆盛があるわけだが、考えてみれば、19世紀のワルツのようにカップルでクルクル回るダンスは、ボーシャン/フイエのノーテーションでは記述できない。(2人のステップが重なってぐちゃぐちゃになってしまいますから。)

ワルツが新しいタイプのダンスであった、ということをそういう論法で説明することも可能なのではなかろうか、と思ったりする。

[追記]

英国のカントリー・ダンスがフランスのルイ14世の宮廷に紹介されたとされるコントルダンスは、カップルで踊る振付が簡易舞踏譜で残っているようですね。

モーツァルトの頃のウィーンの宮廷舞踏会でコントルダンスがカドリーユやドイツ舞曲とともに流行ったのは、メヌエットのような17世紀以来のダンスより自由に男女のペアで動くことができたからだろうと思いますが、19世紀に男女のカップルが自律して踊るワルツが一人勝ちするまでの過程で、ラインやスクエアの位置どり(現在のフォークダンスに残っているような)とカップルのペアリング(競技の社交ダンスの基本単位になっているような)が交錯して踊る過渡期があったような印象を受けます。その過程のどこかで、ダンスをノーテーションできなくなっていくようですね。

モーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」のメヌエットの上をドイツ舞曲とコントルダンスが横切る複合拍子の混乱は、こうした混沌とした過渡期の記録、ということになるかもしれない。

(4) 磁気テープにおける作品概念

「プリンプリン物語」って79年から82年の放映ですよ。そんな最近の作品ですらテープ消去しちゃって残っていなかったという。いま「作品」と書いたが、作品だなんて思っていなかったわけですね、当時は。少年ドラマシリーズしかりで。

テレビ局が録画テープを使い回すときに、子供向けの番組を優先して消去して、オトナ向けや文芸大作は残した、というような事実はたぶんないと思う。むしろ、磁気テープの記録を「作品」とみなす態度の成立には、家庭用再生機の普及で磁気テープの記録が商品化されたのが決定的だったのではないか。「プリンプリン物語」が残らなかったのは、家庭用ビデオ再生機の普及直前という絶好(最悪?)のタイミングだったことによるのではないか。

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[追記]

「真由子ブログ」が原点 “ブラック部活”と“やりがい搾取” | 文春オンライン

高等教育も、「遊民的」に運営すると「やりがい搾取」に似た構造に陥ることが知られているし、SNSの「つながり」がブラックホール化して人を吸い込んでいくのも、まだうまくいえないけれど、何かが似ている気がします。

俗な言い方をすると、「タダほど高いものはない」。

留学のインセンティヴが乏しかった世代の不幸

1990年代に入って、大学院改革のまっただ中にいた大学生・大学院生たちは、その前の世代に比べて留学する者が少なかったように思う。専任教員になってからようやく在外研究の機会を得た人が、「幸運にも私が海外で知り得た事実を日本国内の一般大衆は知らない」という昭和に逆戻りしたような話法で屈折したナショナリストになってしまうのは、単純に世代の不幸だろうと思う。

あなたが大学に残ること最優先で国内で過ごした30代まで(2010年頃まで)の間にそれに気付かなかったのは不幸なことだが、そういう特殊な人生を歩んでいない人たちは、既にそのことを知っている可能性が高いと思う。

例えば、在外日本人学校に派遣する教師は、市町村の普通の小学校中学校の校長等からの推薦があって選ばれるのだから、校長教頭クラスの先生たちは、みんなその事業を知っている(うちの父も、目をかけていた先生を推薦したりしていた)。全国の公立学校の校長経験者の数は、たぶん、在外研究の機会を得たことのある大学教員の数より圧倒的に多いよね。

そして海外出張、海外赴任を経験したサラリーマンの数は、さらに多いのは間違いない。(そうじゃないと、日本人学校では、教員のほうが生徒より数が多いことになってしまう。)

このことだけを考えても、「幸運にも私が海外で知り得た事実を日本国内の一般大衆は知らない」という話法は滑稽です。単に、あんたが(中年になって外国に行くまで)知らんかったに過ぎない。そしてオレは海外で覚醒したぞ、という自慢話は、留学経験者の少ない特定世代の大学教員の仲間内でのみ自慢話として成立する。まさしくエコー・チェンバー効果ですね。

単一民族神話は、ここでは、あまり関係ないし、そういう風に突如として話がでかくなるのは、あまりにも典型的にSNSな誇大妄想の風景だよね。

聴衆を急かす昨今のレセプショニストたちの反時代性

最近の音楽専用ホールでは、開演5分前にベルが鳴ると、レセプショニストたちが会場のあちこちで、開演したらすぐには会場に入れなくなるから急げ、と(まだ5分もあるのに)お客さんを急かす。

路線バスでは車両が完全に止まってドアが開いてから席を立ちましょう、とか、エスカレーターは片側を空けたりせずに詰めて乗るのが安全かつ一番効率的なので、焦って駆け上がらないようにしましょう、とか、老若男女が集まるパブリックスペースでは「慌てないこと・急がないこと」が幸福を最大化するはずだ、と、いかにも情報化社会らしい知見にもとづくスローガンが掲げられつつあるご時世に、音楽専用ホールだけが、かつてないほど「時間厳守」にこだわって聴衆を神経質に急がせるのは、何かが滅びの道へ向かって死に急いでいるような気がしてならない。

コンサートなんて、3分押し、5分押しで開演したって、別に大した問題じゃないと思うのだが。

音楽は、ライヴ・ナマモノだといっても、「できたてホヤホヤ」をすぐに食べないと味が変わってしまうお料理とは違うのだから、力点を間違っていると思えてならない。

地上から空へ飛びたつ飛行機という鋼鉄の密室のなかで乗客の命をあずかっているわけじゃないのに、どうして最近のレセプショニストは、あんなに「危機管理の非常態勢」モードをふりかざして、我こそはこの空間の管理責任者であるぞ、と軍人めいた態度をとるのでしょうか?

(まさか、とは思うが、開演が遅れたときにはホールが主催者に違約金を払う契約になっている、とか、逆に、音楽家はオンタイムにステージ上に登場しないと逆にホールに違約金を払う契約になっている、とか、そんなアホなことはないですよね。一昔前のJR西日本の非人間的な「オン・タイム」至上主義じゃあるまいし。)

無音室と反響室

世界的な高度経済成長が一段落した20世紀の最後の30年、ジョン・ケージからサウンドスケープへ、という音のエコロジーの議論でケージの無音室体験が神話的に語られてきたわけだが、反響残響という現象に関する知見は、今では音楽専用ホールという窮屈な人工空間の設計と、録音編集技術のノウハウとしてマニエリズムに堕落している。

SNSのエコーチェンバー効果という用語で、反響残響の功罪が語られる事態は、視聴覚のリタニーという思想宗教めかした議論より、はるかにリアルに、聴覚文化の転機を告げている気がする。

なぜネット上にはデマや陰謀論がはびこり、科学の知見は消えていくのか:研究結果|WIRED.jp

[追記]

それにしても、吉田寛先生が周囲の反応をここまで頼みにしており、「エコーチェンバー」なしには生きられない人だとは意外である。コウモリはエコーで世界を「見る」生物であることが知られているが、このケースはそのようなある種の「動物化」ではなく、単に「空気を読む・空気を醸造してその中で生きる」という、いわゆる「典型的日本人」の作法に過ぎない気がする。まさかとは思うが、自らの習い性となっている「エコーチェンバー効果」への依存をギブソンの言うアフォーダンスと誤認しているのではあるまいか。

数年前にプチ・ブレイクした「ニッポンの聴覚文化論」は、こんなことで大丈夫なのか。

ヒューマニティーズとリベラル・アーツ

ある会社のAIが囲碁の対戦から撤退(「引退」と擬人化して言うべきか?)したあとも、人間は囲碁を打ち続けて、アルファ先生/マスター先生の着手は「新定石」に登録されて研究され続けるし、別の会社が囲碁AIを開発し続けたりすることだろう。

懲りない人間たちを追いかけるのがヒューマニティーズで、次にAIに何をやらせたらいいかアイデアを練るのがリベラル・アーツ。

そういう区別でいいのだろうか。

だとしたら、どっちが優れているか、という話ではなく、だから、「AIが人間を越える特異点」という話にもならないだろうと思えるわけだが。

婦人ピアニストの系譜

ポストモダニズムを物理学者がからかった90年代の事件と同じ次元で、2017年のフェミニズムへの悪戯に快哉を叫んでいいはずだ、という判断に私はどうにも同意できないのだが、いまのところ、これは直感的なことで、うまく説明できない。

鍵盤音楽史の授業で、ベートーヴェンを「ピアノによる他の楽器やジャンルの模倣」という発想の代表として扱い、シューベルトのソナタの巨大でシンフォニックなヴィジョンは、ベートーヴェンと違って生前に本格的なシンフォニーの上演を実現できなかった若者の屈折とみなすことにした。シューベルトは、ベートーヴェンと同じく「ピアノによる模倣」という手法を基礎にして、その発想が鬱屈してこじれている、と診断していいのではないか、というアイデアです。

90年代以後のドイツ語圏で量産されたシューベルトの器楽曲に関する研究は、おおむね、こういう方向でシューベルトを分析していると思うのですが、どうでしょう。

(で、ベートーヴェンにせよシューベルトにせよ、「ピアノによる模倣」は主題の造形や変奏の段階で起きることが多いので、これは、19世紀のドイツ音楽の最大の特徴だとされる「主題の展開」という音楽のシンタクスが、ピアノ音楽においては「他の楽器の模倣」というセマンティクスと組み合わさるシステムとして稼働したのではないか、ということでもある。チャールズ・ローゼンがソナタ諸形式で詳細に語っていそうな話題を思い切り簡略にすると、そういう説明モデルを取り出すのは、あながち的外れではなさそうに思うのです。)

ということで、古典派のピアノ音楽をとりあえず片付けて、この順番でピアノ文献を読み進めるとしたら、ドイツ語圏では次にシューマンが出てくるわけだが、シューマンを1830年代ドイツのピアノ音楽の代表と見るのは、何か違うような気がしてならない。

(西原稔先生の連載をまとめたシューマンのピアノ作品全解説も取り寄せましたが、総論をざっと見る限りでは、19世紀前半のドイツのピアノ音楽に関する総論があって、その「実例」としてシューマンの個々の作品を語る、という社会科学風の構成では、シューマンがロマン主義文学を読みふけることで身につけていたであろうユーモアとアイロニーであるとか、最近の「感性学」で話題の感覚の錯乱であるとか、といった、シューマンの作品を読み解くときに欠かせないと思われるツールキットが、西原流音楽社会学には、うまく装着されていない印象を受けました。)

むしろ、19世紀ドイツのピアノを語るときの「代表的人物」は、夫ロベルトではなく妻クララのほうではないか。彼女が期を画したのであろう「女性と音楽」、女性にとってピアノを弾くとはどういうことであったのか、という話題を太い幹として立ててから、その夫である「作曲もする奇矯な音楽評論家」の話をする、という順序にすれば、ロベルト・シューマンのアイロニーや錯乱がどのような局面でどのように作動したのか、語りやすくなるのではないか?

小岩信治さんがロベルト・シューマンのイ短調の協奏曲をクララ・ヴィークの同じ調の協奏曲から説き起こしたのをヒントにして、シューマンのピアノ音楽全体をクララの音楽活動の「オマケ」として語ってみると、面白いのではなかろうか、と、考えたりしております。

(とはいえ、クララ・ヴィークが、アルゲリッチの登場以前と以後で何かが変わったのであろう20世紀の女性ピアニストや、ユジャ・ワンのように「21世紀の音楽の国」で活躍するアジア系女性ピアニストと、うまくつながるのか、つながらないのか、不勉強で、今の私にはものすごくおおざっぱな話しかできそうにないですが。)