博士が自分を安易に「バカ」と言っていいのか、その心情を博士ならぬ身は知るよしもなく……

「頭の良い人」には「心の狭い」人が少なくないから……。たぶん、他人がバカに見えてしょうがないのだろう。だが、その「バカ」の心が読めないという点で、彼らはまことに困った人たちである。世の中には、私も含め、その「バカ」が大多数を占めるのだから。

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わたくしという人間は、相当高い確率で「心が狭い」という範疇に含まれると思いますが、

どうやらここ数日の野次馬様を含む方々の見立てとしては、

「東大の前途有望な大学院生に、将来のない中年オヤジが無謀なやり方で執拗に絡んでいる」

という構図のなかに、わたくしが登場しているようです。

(バカな小心者が、この歳になって、無理矢理時間を作って学会なんぞへノコノコ出ていく、というのは必死のパッチで、なりふりなんぞ、かまっとられん、というだけのことなんですけど、どうやら「世間」というところには、そういう部分はまったく見えないようで……。

まあ、せっかく時間をかけて作った資料を公開できたので、

http://www3.osk.3web.ne.jp/~tsiraisi/musicology/article/ohguri-nog20121125.html

それさえ世間へ流通すれば、中年オヤジが誰から何を思われようが、別にどうでもいいわけですが。)

で、この場合、先方様に対して、わたくしは、「「バカ」の心が読めないという点で、彼らはまことに困った人たち」であることだなあ、と鷹揚に構えておけばよい、ということになるのでしょうか(笑)。

たしかに、チマチマした分析哲学しか眼中にない精神状態には、「頭が良く心が狭い」という形容が当てはまりそうではありますが……。

(岡田暁生の本のことを調べるのに、わたくしのブログが何の役に立つのか、意味不明だし(←武士の情けでリンクは貼らない(笑))。まともな研究者なら、んなもん、原物を読んだ時点で岡田暁生のどこがどうおかしいか、すぐわかるだろうに。)