大阪国際フェスティバル(大阪国際芸術祭)の立ち上げは吉田秀和が「音楽展望」をはじめるよりもかなり前

昨夜、第51回大阪国際フェスティバルの一環ということになっているフェニーチェ劇場の「オテロ」を見せていただいたのですが、入口の招待客受付で窓口のおばちゃん(リニューアル前からいる人)にわけのわからん嫌味を言われて、ふと考えた(笑)。

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承前:ツーカーの消滅

戦後かなり長い間、大阪フィルと関西歌劇団と大阪音大は、公式の組織としては別だけれど、全部(少なくとも事実上の)ボスは朝比奈隆で、同じ人たちが役割を使い分けるエイリアスみたいな感じだった(と考えるしかないように思う)。

あの人たちは隠さず遠慮なくそうしていたので目立ったけれど、別にあの人たちだけがそうだったわけではなくて、前にレポートしたように(日本)音楽学会と東京藝術大学楽理科と音楽之友社の関係とか、吉田秀和や柴田南雄とは何者だったのか、とか、昭和後期の日本(の洋楽文化)は、だいたいどこもそんな感じになっていたんだろうと思う。

表看板が「近代化」なのはそうだけど、この島は、分業・分権を理想的に実現できるほどの人材がいたわけではなく、みんな、色々兼ねたり、足りないところをやりくりしていたのだと思う。

與那覇潤が言う「再江戸時代化」は、雑なキャッチコピーだとは思うけれど、そういうものをくっきり浮かび上がらせるサーチライトには確かになる。

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イデオロギーと政治(と音楽)

また、政治学を専門としない学者やジャーナリストが、政治上の問題としてよく関心をもつ話題に、ナショナリズムがある。私見ではどうもこの問題は、政治というよりも、宗教などと同じく個人の生き方にかかわる信念のありようとしてとらえた方が適切に思えるのだが、ブックガイドは書いておく必要があるだろう。(苅部直『ヒューマニティーズ 政治学』、岩波書店、2012年、107頁)

政治学 (ヒューマニティーズ)

政治学 (ヒューマニティーズ)

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事務書類・申請書・報告書・誓約書等々に書名捺印する「作家さん」の権利はどうなっているのか? 書類作成という労働が付加価値の発生源なのだとしたら、そのことへの対価をちゃんと計算していただきたい件(真剣)

わたくしは、零細な家内労働で編んだ作文で対価を売る売文と、大学へパートで出講する大学教員の兼業なわけですが、ふと気がつくと、大学教員としての仕事に派生する諸々の書類作成については、どうやら、正確な「対価」を雇い主が計算していない気配がある。(常勤の先生だったら日常業務の中へ含まれるのかもしらんが、パートの人間が同じつもりで雑多な書類を作らされるのは少々困る。)

肉体の運動としては、定型の書式の空欄を埋めて、書名捺印で終わる場合も多いわけですが、そのような軽微な肉体労働の結果として作成された書類を提出することが個体を拘束する力は非常に強いわけで、もしかすると書き手(書類作成者)が背負うことになる影響力は、たとえば、兼業のもう一方のほうである「作文」において、肉体の運動量がほとんど変わらない数文字の連なり(たとえば「指揮者の○○はバカである」)を「売った」場合と同じかそれ以上である場合があるかもしれない。

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コンヴィチュニーの「椿姫」

ヴェルディ:歌劇「椿姫」全曲[Blu-ray] [DVD]

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私が大学へ教えに行くのはパート(非常勤)なので、本来それほど行事とか事務の仕事はないのですが、年度をまたいだこの2週間は妙にハードでした。

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巨大鯨の胃袋みたいな新フェスティバルホール

大事に書こうとして〆切を超過してしまう悪い癖が出て死にそうになりながら、4/3は新フェスティバルホールの「開業記念式典」へ出席させていただきました。

その後、八尾の母のところへ行くと翌4/4の朝日朝刊には1ページぶちぬきの記事が出たようで、ホールのリニューアルは現在進行形のメディア・イベントなんだなあ、と改めて実感した次第でございます。

あらゆるホール、オーケストラが「情報発信」して、事前・事後の言葉で「その時その場」を隙間なく梱包しなければイベントが成立しなくなって久しい21世紀ですから、その本家本元である天下の朝日新聞の維新じゃなく威信をかけた仕事ぶり、ということになるのでしょうか。

甲子園野球と日本人―メディアのつくったイベント (歴史文化ライブラリー)

甲子園野球と日本人―メディアのつくったイベント (歴史文化ライブラリー)

(ちなみに、同じく母の家でNHKのニュースに出演する小澤征爾を見て、彼が「4月30日」に1年数ヶ月ぶりに指揮をしたかのような編集になっていてびっくりした。東京で振ったのは、3/27の京都(http://d.hatena.ne.jp/tsiraisi/20130327/p1)以来「3日ぶり」に過ぎませんから(笑)。いやあメディアは恐い。歴史を作るぞ、彼らは。)

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体が資本な経験主義の父親と、数学的論理で楽しいパズルが得意な賢い母から「近代」という獣が生まれて懐疑主義の野へ放たれた4月5日

というお伽噺を書いたら、彼はまたブチ切れてしまうのだろうか?

今は時間がないので、思いついたタイトルだけ掲げて、そのうち本文を書きます。ピーター・バークの終章で予習しておいてください(笑)。

知識の社会史―知と情報はいかにして商品化したか

知識の社会史―知と情報はいかにして商品化したか

素性はむしろ立派なんだから、巧妙に周囲の足を引っ張る謎かけ、とか、そういう島国っぽい過剰な防衛規制を解除して、堂々としていればいいと思うのだよ。

たぶんそれが、英国紳士の「叡知」業界への一番の貢献だったはずだから。

デフレを英米プラグマティズムで生き延びよう大作戦は、もうそのあたりで手打ちにしていいんじゃないか。

日本学生支援機構(旧・日本育英会)問題:貸し付けを奨学金と呼ぶのはNGだけど、将来先生になったら借金はチャラ、の部分はOKだ、の理解でよろしいか?

[追記:しかしアレだよね、

https://twitter.com/smasuda/status/318376048427405314

自分が関わっているあっちこっちの「職場」に、こういう風にプー垂れて他人を不快にさせる自称ニューフェースがいないのは、ホンマ有難いことだと思うわ。借金苦で死ぬ人がいる、そんな世の中でいいのか、という話はそういう話として声を大にして叫んだらよろしい。大阪市大は、伝統ある関西極左学生運動の牙城なのですから、どんどんやりなはれ。(思えば立命館もそうだよね。往年の新左翼の城が今は団塊チルドレン世代を収容してカルチュラル・スタディーズの拠点になる、という史的展開があるわけだ。革命するぞ、オルグしちゃうぞ!)でも、それが誰のものか、とか、もうエエやん、という話をここではしとるわけや。金は天下の回りもの。回るものは泣いても笑っても回っていくんやから、だったら、どう回すのがいいのかなあ、ということです。]

日本育英会の「奨学金」というのは、私も現在返済中ですが、これが教職(常勤)に就いたらチャラになる条件付きの借金だ、というのは最初に借りたときからわかってたことなので、何が騒ぎになっているのか謎だったのですけれど、

1984年に「第二種」として有利子でその分審査がユルユルの貸し付けが新設されて、いつのまにか学生を食い物にする悪徳金融みたいになっていることが批判を浴びているんですね。

バブル期に調子こいて制度をイジっておかしくなった典型、という気がします。

でも、これだけだと「返すあてのない借金なんてするもんじゃない」という当たり前の話で終わってしまうので、ここでは、1943年の育英会創設時からあると思しき「第一種」の「先生になったら借金はチャラ」部分について。

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一揆への期待?

與那覇潤氏はどうして例の本で一向一揆を重要視していながら神田先生をスルーしたのだろう。

一向一揆研究がここまで広がる(神田千里『宗教で読む戦国時代』) - 仕事の日記(はてな)

の続きみたいな感じになりますが、

一揆の原理 日本中世の一揆から現代のSNSまで

一揆の原理 日本中世の一揆から現代のSNSまで

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小澤征爾の普通にしてる感

びわ湖ホールのコンヴィチュニー・アカデミーでパパゲーノが盛り上がったあと、京都の小澤征爾塾へ行ったら、早速共同通信が写真入りで記事にしていますが、アンコールにご登場でエグモント序曲。

小澤さんが観客の前で指揮をするのは、昨年1月の水戸室内管弦楽団の公演以来、約1年2カ月ぶり。

http://www.47news.jp/CN/201303/CN2013032701002083.html
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