近刊の「近」

「この巻は西洋音楽史の最後の段階の概説であり」と書き出す柴田南雄『西洋音楽史 4 印象以後』という書物は、1966年11月30日付のあとがきで、企画の成り立ちにさらりと言及している。

音楽之友社で、音楽史四冊本の企画が生まれ、私たちが最初の打合わせを持ってから、かれこれ六年あまりの歳月が経過したと思う。

ただし、「西洋音楽史 4」が最終巻らしいのだけれど、同書の昭和42年1月15日第一刷には、「1〜3」がどういう内容なのか、分担を打合せたらしい「私たち」=他の執筆者は誰と誰なのか、本のなかには説明がなく、広告等も出ていない。(カヴァーに何らかの記載があった可能性はあるが、未確認。)

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「西洋音楽史 1」は19年後に出た。(「音楽芸術」1971年1月号から1974年12月号までの連載「中世・ルネサンスの音楽史」に訂正補筆して刊行。)

さらにこの書の出版にたいする音楽之友社の御熱意も、なみなみならぬものがあった。本書の出版が企画されたのは実は二十数年も前のことであって、前社長目黒三策氏、そして石井宏氏[音楽評論家とは同姓同名の別人]、馬場健氏は企画の実現を慫懇されつつ、世を去られてしまわれた。常識外の遅延をただただ御霊前にお詫び申しあげるばかりである。(皆川達夫『西洋音楽史 1 中世・ルネサンス』、音楽之友社、1986年、551頁)

「西洋音楽史 2」はさらにその15年後に出る。

この本は、音楽之友社の初代社長目黒三策氏のもとで企画された全四巻の「西洋音楽史シリーズ」の第二巻にあたる。第一巻「中世・ルネサンス」は皆川達夫氏の執筆、第四巻「印象派以後」は柴田南雄氏の執筆ですでに公刊されている。そうしたシリーズの一環を担うとともに、わたしの長らく愛しつづけてきたバロックと前古典派の音楽について一冊の書物をまとめるのは、大きな喜びであった。とは言うものの、筆は遅々として進まず、音楽之友社の元常務取締役栗山和氏とそのあとを継いでお世話くださった堀恭氏に、たいへんご迷惑をおかけすることになった。そのことをまずお詫びし、お骨折りに感謝する。(服部幸三『西洋音楽史 2 バロック』、音楽之友社、2001年、415頁)

そうして、この「二〇〇一年三月十日第一刷」の巻末には、「近日刊行」として「西洋音楽史 3」の広告が出ているので、1966年のおよそ6年前、1960年当初の目黒三策社長の企画の全貌がようやくわかる。

  • 1 中世・ルネサンス 皆川達夫(1927- ) → 1986年刊行
  • 2 バロック 服部幸三(1924-2009) → 2001年刊行
  • 3 古典派・ロマン派 海老沢敏(1931- ) → ?
  • 4 印象派以後 柴田南雄(1916-1996) → 1967年刊行
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執筆(予定)者は、1960年当時、柴田南雄が44歳で、服部幸三と皆川達夫が30代半ば、海老沢敏先生に至っては、まだ29歳。いずれも東大卒。

1930年代生まれの作曲家たち(多くは戦後の東京芸大卒)が絶讃売り出し中だった時期に、同世代の音楽研究者による書き下ろしの音楽史シリーズを出す、ということだったように思われます。

第一次世界大戦から第二次世界大戦までの「アヴァンギャルド」は、今から振り返れば古典・ロマン派音楽の最後の段階であり、第二次大戦後に新しい時代がはじまった、という第4巻序章の柴田南雄の見取り図は、1960年代、東京オリンピックを実現して、小松左京らが大阪万博へ向けて「未来学」を仕掛けつつあった時代の認識を感じさせます。

海老沢先生は、ご自身が会長を務められ、音楽之友社が機関誌を編集・発行している日本音楽学会(1951年設立)が、まだ若々しく熱かった時代のシリーズ企画に、決着を着けてくださるのでしょうか?

西洋音楽史 印象派以後

西洋音楽史 印象派以後

西洋音楽史 バロック (西洋音楽史シリーズ)

西洋音楽史 バロック (西洋音楽史シリーズ)

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……というわけで、このたび大阪大学に輪島裕介先生を迎えるに至って実に悦ばしいカルスタな諸君。我が日本国の音楽学会創設メンバー諸氏による「大文字の音楽史」は、いまだ未完のプロジェクトなのだが、さて、どうしたものか。

出版というリアルな商習慣では、予告された計画が半永久的に凍結されるのはありふれた日常の光景に過ぎないと思いますが、「言説」としての決済はそのつどやっておかないと、たぶんマズイことになりますよね。債務不履行を放置すると、担保と信用の政治学というフィクション自体が瓦解してしまうから……。

(何十年かかろうと本を上梓したのですから、皆川・服部両先生は、むしろ惰性に流されない希有に律儀な近代人だと思いますが、そうだとして、この態度は「カノン」を捏造する悪しき近代として、いずれは標的となり、処分・粛清されたり、無視・黙殺という兵糧攻めで立ち枯れになることが予測されるのでしょうか。

アングロ・サクソンのカルチュラル・スタディーズは、そうした容赦のない偶像破壊を含有していたように思いますが、そういうメンドクサイことは見なかったことにして、なんとなく流れ流されていく人たちがカルスタの大半なのではないか、と外から見ると、その程度にしか見えなかったりするところが、イマイチ本気で支持が集まらない理由ではないかと思うのですけれど。ヒラメキでやりくりできそうだし、楽なほうへ人が流れるという惰性はあると思いますけれど。)

バルトーク ハンガリー民謡

バルトーク ハンガリー民謡

バルトークの『ハンガリー民謡大観』が完成後半世紀の紆余曲折を経て刊行されるまでの経緯が、巻末に伊東信宏先生によって解説されている。先人の置きみやげは、いつかどこかで別の誰かが手順を尽くして「ケツを拭く」ことになる。
創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史 (光文社新書)

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阪大美学棟は、本来一部屋であるべき空間に薄い間仕切りがあるだけだったりして、リアル・ワールドにおけるお掃除の喜びをもたらすとは思われない昭和後期の建物ですが、"Denken und Schreiben macht frei"を信奉するネオ・ロマンティシズムなお仲間もいらっしゃるようなので、言説空間における行き届いた大掃除を期待しております。

天皇陛下万歳とお笑い漫才―伝統芸能の謎を解く

天皇陛下万歳とお笑い漫才―伝統芸能の謎を解く

私はこれがネタとして消費されることを望むものではなく、軽いタッチで物事を語るとしても、入りくんだ事情を時間をかけて丁寧に読み解く人であると信じて紹介しますが、関西の芸能・放送界のディープなところへ関心をお持ちなのであれば、ひとつの入口になるのではないでしょうか。

著者がイデオロギーに凝り固まることなく飄々として、でもバカじゃないことは読めば分かると思います。野坂昭如とは守口の中学校以来の友人(悪友)で、11PM大阪の藤本義一などが賑やかにやっていた頃の放送作家だった人です。筒井康隆(の主にお父さん)と接近遭遇したりもする。波瀾万丈の経歴を他の著書などで丹念に探すと、さらに色々なことが見えてくると思います。(「能勢」とも奇妙な縁がある人なので、頑張って探索してください。)

こういう人たちがいた時代を経て、桂三枝ややすし・きよしの時代があって、それから、さんま・伸助、ナイトスクープの時代が来たということで。

秋田実は伝説的に有名で、花王名人劇場の澤田隆治とか、サブカル方面の中島らも、とか、ときどき関西の芸能界の舞台裏の人の名前が表に出ることもありますけれど、全盛期にはキタやミナミで「せんせ」と呼ばれて肩で風を切って歩いていたという関西の業界近傍の作家さん、大物制作スタッフさんの系譜は、そういう方面に関心をお持ちであれば、丹念に追いかける価値があるように思うのです。

「お笑いの街おおさか」が<創られた>イメージであることは、みんなおおよそのところは感づいていると思いますし、暴けばいいってものではない。定職を得れば、新書で一発大当たりを狙う必要もないでしょうから、まさかそのような二番煎じはなさいませんように(笑)。やるなら思い切りはじけ飛んでくださいませ。