2014-08-01から1ヶ月間の記事一覧
前の2つの記事は具体的に書こうとして長くなりましたが、まとめると、 (1) コンヴィチュニーというオペラ演出家が面白いということが東京で知られるようになって、なかでも東京二期会は彼に直接アプローチして、公演・交流の実績が徐々に積み重なっていった…
……ということで、言いたいことはほぼ言い終えたので、最後のオマケ。すでにここまでの作文でおわかりかと思いますが、今回のコンヴィチュニーのオペラ・アカデミーには、東条碩夫と加藤浩子が来ていました。どちらも、国内国外両方のオペラ公演を数多く観て…
やっぱり、念のため、「もうひとつのバカ対策」の消臭剤(笑)を撒いておいたほうがいいようだ。日本のオペラは、まだ足りないことがそりゃあまあ色々あって、コンヴィチュニー旋風はいい刺激になったわけだけれども、「演劇人」なる立場の人たちによるオペ…
[一部改稿]
[タイトルを変えました]劇場は「事件」を起こす現場ですよね。コンヴィチュニーinびわ湖の本番の発表会が近づくにつれて、本気で劇場を運用するのは、原発を稼働するの同じくらいチャレンジングな、危機管理の限界への挑戦なんとちゃうやろか、でも、だから…
コンヴィチュニー・オペラ・アカデミー、終わりました。まじめな感想を書こうかと思ったのですが、考え始めると、「演出の劇場」の総括とコンヴィチュニーの現在、というようなことだけでなく、オペラ史におけるヴェルディの位置、とか、日本のオペラ史の過…
東京勢が大量の人員と言説を発生させておるので、ワシは、対抗上、敢えて、「京大系」(ワシの音楽学の恩師は京大美学卒じゃ)なのかもしれぬ原理的なことを書くが(笑)、ひとつの公演を作りあげつつある稽古・リハーサルとは何であり、そこで発せられる言…
あとは今日の午後のゲネプロと明日の本番を残すのみですが、今回のトラヴィアータの10日間は、思い返せば、コンヴィチュニーのそのまま全部文字起こしして記録に残したいような立派なスピーチから始まったんですよね。簡単な説明のあと、いきなり聴講生を含…
もう行かなきゃいけない時間なので簡単に書く。「そんなの聞いてないよ!」というウッカリさんが、ひょっとしたらいるかもしれないけれど、劇場・ドラマは、そもそもが矛盾・解けない対立・二律背反を発生させる装置としてずっとやってきているので、誰かの…
オペラを演劇として充実させる、と言うときに、今も昔も人が真っ先に思いつくのは、棒立ちや定型の所作ではない「豊かな表情」と「生き生きした動作」だと思われ、これは、オペラグラスで歌ってる人をじっくりズームで観察すれば、比較的簡単に「採点」でき…
(タイトルは明日に迫ったセンチュリーさんのシリーズ名にちなみましたが、内容はセンチュリーさんとは無関係です(笑)。)そういえば、50年以上前、1957年に大栗裕の歌劇「夫婦善哉」が上演されたときは、演出の武智鉄二が関西の新聞記者や評論家と対立し…
ついでに書いておきますが、私は、別にコンヴィチュニーのオペラ観、演劇哲学みたいなものを取材しようと思ってアカデミーに参加しているつもりはないです。もちろん、そういうようなものは了解しておかないと話についていけなくなるから、ちゃんと聞きます…
[追記あり]
午前中に2幕の最後まで行って、すごいものを見てしまった。コンヴィチュニーは長髪を後ろへ束ねて、向こう気の強い兄ちゃんがそのまま年取ったような風体だし、見た瞬間に笑っちゃうような飛び道具を色々使うイメージがあるじゃないですか。アイーダの象が…
コンヴィチュニーがどういう演出家なのか、特徴を一言で説明できるという意味での代表作は「アイーダ」で、凱旋シーンがある祝祭オペラを小さな四角い部屋にソファーがあるだけの室内劇に縮小しちゃったわけですよね。稽古をみていると、合唱の扱いは「魔笛…
九州の夏祭りも出てくるし、交響曲「HARIKOMI」の元ネタは黛敏郎が音楽を担当したこの映画だったりするのではないかと思っているのですが、どうなのでしょう。 張込み [DVD]" title=" 張込み [DVD]"> 張込み [DVD]出版社/メーカー: SHOCHIKU Co.,Ltd.(SH)(D)…
指揮者としてのブーレーズの「全体像」を知りたいと思ったら、かつて物のはずみで死亡宣告を勝手にしてしまったとの伝説があるオペラでの仕事が相当でかいと思うのだが、そういう音盤に記録しようのない活動を、彼はどう考えているのだろう。カラヤンだって…
びわ湖ホールの一番下の階でコンヴィチュニーがトラヴィアータの一番しんどい第2幕を緊迫したなかで作っている一方、上の階では芸術監督の沼尻竜典がセンチュリー響のコンサートとロビーコンサート(←去年のコンヴィチュニーの「魔笛」に出ていたお二人のび…
コンヴィチュニーと平田オリザと沼尻竜典の3人が並んでいるのをみると、10年くらい前に「読み替え演出は是か非か?」とやっていたのは牧歌的な光景だったのだなあ、と思うと同時に、オペラを劇場で実際に切り盛りしていこうとすると露わになってくるアレコ…